1997年3月、ケンブリッジ大での留学を終えて帝京大に戻り、同大市原病院(現・ちば総合医療センター)に配属された。竹内龍雄教授をはじめ諸先輩の指導の下、精神科臨床に励む日々を送ることになった。
医者は世事に疎いと言われるが、この年は超大型倒産が相次ぎ、社会情勢に無関心ではいられなかった。11月には山一証券が経営破綻し、あの涙の社長会見が繰り返し放送されて「日本はどうなるんだろう」と心底怖くなった。翌年には日本債券信用銀行と日本長期信用銀行が破綻した。
当時、警察庁の自殺統計は毎年6月に発表されていた。99年6月に発表された98年の自殺者数は驚きの数値だった。前年比35%も増え、日本の統計史上初めて3万人を突破したのである。女性の24%増に対し、男性は40%増。年齢別では40代後半~60代の男性での増加が目立ち、50代男性の増加率が46%と際立った。働き盛りの中高年男性の自殺が激増したのだ。
「倒産自殺」や「リストラ自殺」という言葉がマスメディアによって作られた。警察庁による自殺の動機分類では「経済生活問題」が前年比70%も増え、中高年男性の自殺動機のトップだった。
「山一ショック」と呼ばれる当時の経済不況は深刻だった。倒産やリストラが増えただけでなく、職場環境にも大きな変化が急激にもたらされた。成果主義の導入や終身雇用制の終焉(しゅうえん)。中高年男性の心理的な負担感はいかばかりだっただろう。そして、自殺者の「年間3万人」時代がそれから14年間も続くのである。
その要因の一つに挙げられるのがうつ病の増加。厚生労働省が行う3年ごとの患者調査によると、99年のうつ病患者は24万人だったが、2002年は44万人、05年は63万人、08年には70万人に達する。ただ、これは医療機関の受診者数を基にした推計値。うつ病になった人すべてが受診するわけではなく、実際の患者数はこれより多いと考えられている。
中高年男性に関する大きな問題はこの「受診率の低さ」にある。一般に、女性より男性の方が受診率は低く、年齢別では中高年の受診率が低いと言われている。私の都内での心理学的剖検調査では、40~50代のうつ病事例の精神科受診率は20%台にとどまり、40歳未満の受診率60%台よりはるかに低かった。山一ショック以降に、中高年男性の自殺が激増した背景には、うつ病患者の増加と受診率の低さがあったと考えられている。
(日本自殺予防学会理事長)
(共同通信)