2006年に施行された自殺対策基本法に基づき、翌07年には推進すべき対策の指針として自殺総合対策大綱が閣議決定された。これにより、国の自殺対策は大きく動き始めた。
この法律は保健や医療、福祉、教育、労働などのさまざまな施策と自殺対策の連携を基本理念にうたう。このため自殺予防に関わるのは厚生労働省だけではない。経済が悪化すれば自殺者が増えるため経済産業省や財務省も参画する。いじめや学業、進路で悩む子ども対策で文部科学省、ホットスポットと呼ばれる自殺が置きやすい場所の対策は国土交通省など、関係省庁は多岐にわたる。
大綱で示された行動計画は内閣府主導で次々に予算が付き、実際に対策を担う地方自治体に下ろされた。その結果、部局横断的な取り組みが各地で急速に広まった。
前例のない作業を任された担当者の苦労は並大抵でなかったと思うが、一つの窓口で複数の相談ができるワンストップサービスなど、多面的な対策は着実に成果を上げた。大綱制定からわずか5年で年間自殺者が3万人を割り込んだ。
縦割り行政の壁をすぐに打破できたのは、この法律が超党派の議員立法だったからだと思う。そして、議員を動かした力が、前回もお伝えしたNPO法人自殺対策支援センターライフリンクによる10万人署名だった。彼らは自殺を社会的問題と位置付け、予防には貧困や失業などの社会的要因を踏まえた総合的な対策が必要だと訴えた。
自殺予防には二つのアプローチがある。一つは社会的要因を重視し、それに働きかけるポピュレーションアプローチ。公衆衛生アプローチとも呼ぶ。もう一つはうつ病など自殺リスクが高い人に直接働きかけるハイリスクアプローチだ。
自殺対策基本法は前者を重視している。後者では厚労省が大きな成果を上げた。05年に立ち上げた戦略研究で、自殺未遂者に多職種のスタッフで継続ケアを実施すると再度の自殺行動が減ることを証明した。実は、自殺未遂歴は最も強い自殺の危険因子。現場の精神科医の感覚で言えば、未遂者のケアはまさにど真ん中の自殺予防策だ。
ポピュレーションアプローチは社会全体を良くする対策、ハイリスクアプローチは本当に困っている個人への対策。双方を共に進めるのが理想だ。日本では自殺対策基本法の誕生でさまざまな対策が一気に動き出し、双方の歯車がかみ合い出した。法律の力に感謝している。
(日本自殺予防学会理事長)
(共同通信)