2006年の自殺対策基本法施行で、国の自殺対策が一気に動き出した。それ以前は自殺予防に取り組む国全体の機運は乏しく、それは学界も同じ。当時、自殺予防に関する学会は日本自殺予防学会だけだった。
1970年発足と歴史は長かったが、会員数は200人足らずで、活動は低迷していた。年次学術大会も長らく開けておらず、その開催が悲願のようになっていた。そんな中、私は06年に事務局長に任命された。
使命感に突き動かされるまま翌07年、背伸びをして川崎市で年次大会を実現させた。当時私が預かっていた帝京大溝口病院精神科の医局員をはじめ、協力いただいた方々に心から感謝している。
幸いにもこれ以降、大会は毎年開催されている。16年には国際自殺予防学会からアジア太平洋地域大会の開催を任された。この頃には会員も増え、その総力を挙げて東京での開催を成功させた。先達の努力と悲願が結実した瞬間だった。
98年に年間3万人を超えた日本の自殺者は10年から減少に転じ、12年には3万人を下回り、19年まで順調に減少傾向が続いた。さまざまな対策が奏功していると安堵(あんど)しつつ、私は一抹の不安をぬぐい切れなかった。「人々の意識は本当に変わったのだろうか」と。
フランスの文化人類学者モーリス・パンゲが指摘した、切腹文化に起因する自殺親和的な人々の意識が一朝一夕に変わるものだろうか? 日本の自殺率は元々高く、3万人を下回っても世界的には高いままなのだ。
そんな心配をしていた頃、横浜市大医学部精神科の河西千秋准教授(当時)と山田朋樹講師(同)らの報告が目に飛び込んできた。同大病院救命救急センターに運ばれ、紙一重で命を取り留めた重症自殺未遂者に対する精神科医による診察結果だった。
なんと「適応障害」と診断された人が19%も占めたのだ。適応障害はうつ病よりもうつの程度が軽く、海外では自殺者中の3%程度に過ぎない。つまり、日本人は軽いうつ状態でも簡単に一線を越えてしまう人が多いという、危惧していたことを裏付ける内容だった。
やはり日本人には、自殺に踏み切る「心のハードル」が低い自殺親和的な心性が存在しており、これが自殺激増現象の素地になってしまうと考え、私なりに警鐘を鳴らしてきた。しかし残念ながら、新型コロナウイルスの出現によって、再び自殺者が急増する事態が起きてしまったのである。
(日本自殺予防学会理事長)
(共同通信)