「自殺は防ぐことができる」。これは国際自殺予防学会と世界保健機関(WHO)が共同で掲げるスローガンである。自殺予防に取り組む者には大きな励みになるこの標語に、逆に苦しむ人たちがいる。近親者を自殺で亡くされた方々だ。
多くの遺族から「自殺は防げると言われると、そうできなかった自分たちが責められているように感じる」と苦しい胸中を告白された。親族に責められ苦しむ人も少なくない。遺族のメンタルヘルス問題は深刻だ。
私の遺族調査では、うつ症状は1年ほどで軽快する人が多いが、フラッシュバックや悪夢、緊張・過覚醒、回避行動など心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状は1年以上続く人が多かった。「一周忌が過ぎたから前を向いて」と努力して日常に戻っても、PTSD症状は続く。心の傷は癒えていないのだ。
2006年の自殺対策基本法施行で、自治体に遺族ケア・支援の相談窓口が設けられた。しかし利用率は低く、誰にも相談できず苦しむ遺族は多い。自殺予防とともに遺族へも配慮する社会にならないといけない。
「自殺は防げる」という標語が遺族を苦しめているのでは、とWHO自殺対策担当官に聞いたことがある。彼もそれを認めた。しかし「それでも『防げる』という理念を掲げて予防活動を続けることが大事だ」と強調し「遺族のケアと支援は同時に進めないといけない」と続けた。
親友の自殺を機に精神科医になり、自殺研究と自殺予防活動を始めた私は、うつの治療が自殺予防につながるとの思いを強めている。これには科学的証拠がある。まずうつ状態の段階での早期発見が大事。「何かおかしい」と感じたら我慢せず受診してほしい。そしてうつ状態になってしまったら、“うつ”とうまく付き合うことが肝要だ。
この連載のイラストに毎回、黒い犬が登場しているのにお気付きだろうか。双極症を患う英国の名宰相チャーチルが、自分のうつ状態を「黒い犬」と呼んだことで、欧米では黒犬がうつのシンボルとなった。彼にも大変な苦労と心の葛藤があったと思うが、「黒い犬」と呼ぶことでうつを受け入れて手なずけ、有意義な人生を全うした。
自殺予防には「生きる意味」を持てる社会を作ることが大切だと思う。心の中で亡くなった友との対話を続けて自分の生きる意味を探しつつ、お世話になった人への感謝を忘れず、私はこれからも自殺を減らす活動を続けていく。
(日本自殺予防学会理事長)
(おわり)
(共同通信)