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放課後は小禄ボウル通い…金城弘昌さん 「青春ドラマのようなクラス」の中で…赤嶺久美さん 小禄高校(7)<セピア色の春>


放課後は小禄ボウル通い…金城弘昌さん 「青春ドラマのようなクラス」の中で…赤嶺久美さん 小禄高校(7)<セピア色の春> 春の遠足で訪れた中城城跡。2列目右端が赤嶺久美さん、同右から6人目、かがんでいるのが金城弘昌さん(1976年)
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 前県教育長で県信用保証協会専務理事の金城弘昌(64)、キャリア教育や就労支援を担うジョブリッジ研究所前代表理事で現在は顧問の赤嶺久美(64)は共に小禄高校13期生。日本復帰から2年後の1974年に入学し、沖縄社会が大きく移り変わるさなかに高校生活を送った。3年時は同じ4組の級友。担任の岸本正治教諭を中心にまとまりある学級で、卒業から40年以上たつ今も定期的に集まっている。

 金城は那覇市牧志で4人きょうだいの長男として生まれた。父のいとこに、ウルトラマンの脚本家として知られる金城哲夫(1938~76年)がいる。幼少期から体が弱く、小学5年から数年間、結核を患い、糸満市の療養所で通算1年半の入院生活を送った。

 那覇中3年の時、担任に「普通科の高校に行きたい」と伝えたところ、「このままだと、どこも厳しい」と告げられた。両親に家庭教師を付けられ猛勉強した結果、小禄高に合格することができた。

 普通科は約10クラスあり、男女半々だった。部活に入らなかったものの、高校生活は楽しかった。放課後は学校近くにあった小禄ボウリングに友人らと通い、球技大会や文化祭になると盛り上がった。3年の夏休みに同級生約20人で、慶良間諸島にキャンプに出かけたこともある。「慶良間行きは内緒のつもりだったが、教師は知っていた。『何かあれば動こう』と見守ってくれていたと後で知った。教師と生徒の信頼関係があり、自由な校風だった」と振り返る。

 印象に残るのは、3年4組担任の岸本教諭だ。大学に進学したいが自信を持てずにいたところ、「やればできる」と声をかけられた。浪人生活を送った2年間も、両親が牧志で営んでいた食堂をたびたび訪れては、元気にしているか気遣ってくれたという。

【左から】金城 弘昌さん、赤嶺 久美さん

 念願かない琉球大法文学部法政学科に合格し、卒業後は県庁に入った。主に福祉畑を歩み、総務部長を経て2020年から2年間、県教育長を務めた。部下らには常に「和」とコミュニケーション、挑戦することの大切さを説いた。

 「自由な校風の中で、諦めず挑戦する心も培われた。大切な時間だった」。高校での経験は、人生の礎として今に生きている。

 赤嶺は那覇市小禄出身。小禄中でバレーボール部に所属した。強豪校で練習休みは盆と正月だけという厳しさだった。3年生だった1973年に開催された「復帰記念沖縄特別国民体育大会(若夏国体)」では聖火ランナーを務めた。

 部活動に追われた中学時代の反動から、小禄高では部活動に関わらず静かに過ごした。当時の小禄高は、厳しい進学校でも荒れた生徒がいる学校でもなく「のんびりとした自由な雰囲気だった」。教職員が口うるさく生徒を叱ることはなく、生徒との交流も穏やかでアットホームな校風だった。

 赤嶺は「漠然と過ごした3年間だった」と話す。その中で3年4組は印象深い。雰囲気づくりがうまい岸本教諭の下で男女ともに仲が良かった。「青春ドラマに出てくるようなクラスだった。私はそれを少し離れて見ているタイプだった」と笑う。

 卒業後は沖縄キリスト教短期大学に進学。20歳の時に「全日本着物の女王コンテスト」で全日本準グランプリに輝いた。国内外のイベント参加を通して沖縄を意識するようになったという。

 仕事では辛苦が続いた。客室乗務員を目指して南西航空(当時)の内定を得るも視力が原因で取り消された。その後、10回の転職を経験。シングルマザーとして2人の子を育てながら働き、周囲の支えもあり困窮した時期を乗り越えた。「経済的自立」「社会に役立つ」が常に念頭にあり、もがいた。

 2007年、県雇用開発機構で人材育成事業に関わったことをきっかけに、キャリア教育のコーディネーターとして歩み出した。14年、54歳でジョブリッジ研究所を設立して、自立と社会貢献の願いがようやく合致したと感じた。

 近年、高校生に講話する機会がある。その際、全ての経験が将来につながること、周囲への感謝を忘れないことを伝える。「高校時代は短い。計画を立てて何か挑戦してほしい」。

(文中敬称略)
(岩切美穂、岩崎みどり)

 【沿革】

 1963年4月 開校

 68年4月 通信制課程開設式(77年に泊高に移転)

 70年7月 全国高校野球選手権沖縄大会で初優勝

 71年7月 弓道女子チーム九州総体優勝

 83年11月 九州地区吹奏楽連盟主催マーチングバンドコンテスト金賞

 87年11月 全国高校サッカー選手権沖縄大会優勝

 88年8月 全国高校総体ハンドボール男子で県勢初の全国制覇

 90年8月 全国高校総体空手道個人型優勝

 98年4月 コース制導入

 2004年4月 コース制一部改変

(QRコードから校歌を聞くことができます)