透明に澄んだ海。海岸線にはサンゴが映える。故郷の宮古島の海の美しさを痛感したのは上京してからだ。「こんなにもすごい観光資源だったとは思わなかった」。高校まで過ごした島の暮らしと風景の豊かさ。今は身に染みていとおしい。
もともとは教員を志した。進路を変えたのは教育実習で出会った指導教員のアドバイスの一言。「良い教員になるなら社会経験があったほうがいい」。実習を終えると早速、上京し小売業に勤める。ちょうどリーマン・ショック前の投資ブームに街が沸く時期と重なる。
友人の働く都内のバーに時折、顔を出すと目にしたのは「外資系金融の羽振りの良さ」。投資にがぜん興味が湧き、いちずな行動力で生命保険会社へ転職した。並行して関連資格の取得に努めた。順風満帆だったわけではない。投資関連では痛い目にも遭って、そんな失敗体験にもくじけず自らの肥やしとした。
東京に住み始め、年月は既に18年になる。この間には結婚し子どももできて家族との生活が築かれた。それでもずっと心中には「いつかは宮古島に帰る」との思いがあった。とはいえ、会社勤めを続ける限りは成し遂げられそうにない。さりとてUターンしても働く職種の幅の狭さは否めない。はて、と考え抜いて思い至ったのが起業だ。
創立した会社の名前がふるっている。東京都沖縄区だ。東京には地方公共団体の行政区が23区あるが、その1区に加える企てを企業ネーミングにした。同社は「東京と沖縄の懸け橋」がモットー。不動産仲介、経営者向けの資産運用や保険事業を中心に展開する。
そして絶ちがたい故郷への思いを同社の新規事業で立ち上げるのが「TOKYO ワーホリ」だ。沖縄の大学生向けに東京への短期留学を支援する。シェアハウスは1泊千円の格安。夏休みに東京で仕事体験、経営者との交流とプログラムを組む。「ふるさとの良さを知るには外から見詰めることが大切」。自らの体験と実感を事業に込める。「仕事の幅広さを知り選択の幅を広げる。それを支援することで『人財』を育てたい」
教育実習での指導教員の一言は間違いなかった。人を育むのは何も学校教員だけではない。かつて抱いた志は実社会の教員として実現しようとしている。
郷里への恩返しの思いも事業にはある。「自然の豊かさと、その地に住む人の良さ。宮古島に生まれて本当に良かった。今は誇りに思う」
(斎藤学)
たいら ひでゆき 1983年4月生まれ。宮古島市(旧平良市)の出身。宮古高校を経て沖縄国際大に入学。卒業後の2006年に上京した。小売業、生命保険会社を経て起業。現在は合同会社東京都沖縄区の代表社員を務める。