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振慶名区公民館(名護市) 集落移転300年の歴史発信<わした公民館>123


振慶名区公民館(名護市) 集落移転300年の歴史発信<わした公民館>123 振慶名区の座喜味務区長(右)と書記の屋比久小百合さん=16日、名護市
この記事を書いた人 Avatar photo 金城 大樹

 名護市北西部にある振慶名区はもともと、今帰仁村湧川にある「ガジマン堂」と呼ばれる地域にある集落だった。1736年、琉球王府の政治家・蔡温が羽地大川の氾濫などを防ぐために実施した山林政策で川周辺の土地が改修され、その際、旧集落から現在地に移った。12年後には、集落移転から300年を迎える。

 同区は、集落移転300年を前に、区の歴史を学び直そうと蔡温の羽地大川改修跡を巡るウオーキングを予定している。今年5月には区内で勉強会を開催し、7月までにウオーキングコースの選定を終えた。同区の座喜味務区長(64)は「地域の人にも区の歴史を知ってもらいたい」と意気込んでいる。

振慶名区公民間の裏手にある拝所「ウペーフガー」。手前と奥に見える岩は、旧集落があった今帰仁村のガジマン堂から運ばれてきたと言われている=16日、名護市

 区には、バレー部や野球部などもあり、各種大会に参加しているほか、お盆の時期には青年会が主体となってエイサーや道ジュネーも行っている。


 座喜味務区長からの一言 名護市内でも振慶名を知らない人がいる。区をアピールして地域を盛り上げていきたい。集落移転300年に向けて、振慶名の魅力を発信していきたい。


 振慶名区メモ 振慶名史によると、同区にはもともとエイサーがなかった。ある時、同区の青年が結婚式の余興で沖縄市久保田エイサーを見たことで感銘を受け、久保田区長に教えてもらい、1982年に振慶名エイサーを立ち上げたという。

 (金城大樹)
 (金曜掲載)