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「シンガポール陥落」で祝賀 諸見里ユキさん(1) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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諸見里 ユキさん

 八重瀬町後原にお住まいの諸見里ユキさん(90)から体験談が届きました。沖縄戦で母やきょうだいを失いました。長女の金城隆子さん(69)=糸満市=がユキさんの証言を聞き取り、体験談をまとめました。

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 諸見里さんは1933年3月、具志頭村(現八重瀬町)後原で生まれました。父真信さん、母カメさんの間で生まれた6人きょうだいの末っ子です。真信さんは大工でした。

 諸見里さんは具志頭村新城にあった具志頭尋常高等小学校新城分教場に通い、4年生の時に具志頭国民学校に移ります。3年生の時、太平洋戦争が始まります。42年2月の「シンガポール陥落」では児童も祝賀行事に参加しました。

 《シンガポールが陥落し、国民挙げてお祝いだといって、全校生徒が旗を持って行列し、お宮参りをした。》

 具志頭村に日本軍が駐屯したのは44年7月です。第9師団が具志頭国民学校や大きな民家を接収し、兵舎としました。諸見里さんの記憶では後原に三つのかやぶき兵舎がありました。

 諸見里さんは壕掘り作業に駆り出されます。

 《各家庭に人数の割り当てがあり、親の代わりに私が行かされた。兵隊と一緒に掘った土を籠に入れて、手渡しで外に出す作業だった。》

 学校の授業はありません。「学校は兵隊に取られ、ほとんど壕掘り。2個のイモを持って朝早くから出かけました」と諸見里さんは語ります。