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手りゅう弾で自死試みる 諸見里ユキさん(6) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
現在の八重瀬町後原

 諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=の家族が隠れていた具志頭村(現八重瀬町)後原の壕が砲撃に遭い、母のカメさんが亡くなります。姉ハルさんも片足を失います。その後も悲劇が続きました。

 《その季節は小満芒種で大雨が降っていて、母の遺体を葬ることができず、カマス袋に入れて、壕の入り口に置いていた。その遺体にすがって泣いている伯父が米兵の鉄砲弾に撃たれて即死した。

 たった2日で母、伯父が亡くなり、姉の右足を切断。私も右腕を負傷したが、一滴の涙も出なかった。遅かれ早かれ死ぬ運命。明日は自分の番、死ぬことは怖いとは思わなかった。一人残されることの方が怖かった。

 2~3日後、雨が上がり、母と伯父の遺体を家の裏に葬り、印の石を置いた。》

 諸見里さんは「もう死んだ方がいい」という気持ちになったと語ります。次兄の真忠さんが残した手りゅう弾で家族は命を絶とうとしました。

 「ケガをした姉の胸の上に手りゅう弾を置いて、家族で集まりましたが、やり方が分かりません。信管を抜いたけれど破裂しない。マッチで火を付けたけれど、ちょろちょろして消えた。その後、もう一度やろうとしたら、後から壕に入ってきた避難民に止められました」

 その後、諸見里さんが隠れていた壕の周辺に米兵が現れます。