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医師家族と福岡へ疎開 与座ツルさん(2) 母、弟をしのんで<読者と刻む沖縄戦>


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現在の本部町渡久地

 1941年12月、与座ツルさん(98)=本部町=が16歳の頃、太平洋戦争が始まります。緒戦は日本軍の優勢が続きますが、42年6月のミッドウェー海戦以降、劣勢に転じます。

 米軍との戦いで劣勢にあることを知らなかった与座さんは日本軍の勝利を信じていました。

 《婦人会の一員として、頭に巻くと弾が当たらないという「千人針の鉢巻き」を作り、戦に勝つようお祈りした。また、同時に兵隊さんの「武運長久(ぶうんちょうきゅう)」を祈った。》

 その頃、与座さんは現在の本部町渡久地にあった病院で働くようになります。44年になり、与座さんは医師家族と共に福岡へ疎開します。

 《本部町渡久地にて、夫婦で医者をやっている家庭で、子守として雇われた。戦争が激しくなり、この夫婦と一緒に福岡へ疎開した。》

 母のかめさんは当時、40代半ばでした。与座さんが福岡へ出発する時、かめさんは「あなたも元気でね、またいつか会えるからね」と声をかけてくれたといいます。

 与座さんが暮らしたのは福岡市博多区の住吉です。疎開後、戦況は一層悪化し、沖縄との連絡も思うようにできなくなりました。「手紙のやりとりはありませんでした。戦争が激しくなり、文通もできませんでした」と与座さんは語ります。