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<書評>『詩集 今はむかし むかしは今』 沖縄的なもの表象する戦略


<書評>『詩集 今はむかし むかしは今』 沖縄的なもの表象する戦略 『詩集 今はむかし むかしは今』ローゼル川田著 あすら舎・1760円
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 詩風はサウダージ、哀感、寂寥(せきりょう)、残存への共鳴。イクサの幻影と残存が同居する島の風景、場所の記憶の喚起で、言葉を紡ぐ。詩語は喩法をほとんど使わない。

「その2階の最前列の桟敷席の板張りの床/床板の擦れる音がする/動くたびに音がする」「その音はむかしの音ではなく/今の音だった/隣の兄のような人はもういない」「館内に置かれた木製のスピーカーから/『まだいける』の声が聞こえてくる」(木造映画館)

 古い映画館の床板のきしむ音と兄のような人と毛布のぬくもりの感触と残像が余韻ばっちり、「まだいける」は今と昔が交差して響く希望の声、記憶に情感がシンクロした、味わい深い作品だ。

 前の詩集『廃墟の風』を読んだ時、ローゼルは沖縄のプレヴェールかもと思ったが、プレヴェールは言葉の錬金術、民衆性、アナーキー性を軸にしたパロールだが、彼の場合、郷土意識から来る沖縄的なもの、アイデンティティーを意図的に表象する戦略があることを確信した。その素材をルポ的、風土記的に表象するのがローゼルの詩法なのか。現代詩は対象と個の関係の内的な言語や超越を歌う文学ではないだろうか。

 大学紛争時代に「ノンポリ」だった団塊世代。「見えるものだけを見ていると/ふいに世界を見失ってしまうのです」(なんじゃ色の道)は不可視の発見だが、既知化されたイクサ、集団自決、不発弾、壕(ごう)、寂れた島や街、石敢當、シーサー、御嶽といった歴史、民俗、文化的な事象や事物の象徴的な風景を取り入れた散文調の作品が多い。琉球・沖縄の精神性を賛美したり、共同性に同化した民族的感情の発露にパロールを駆使したりする。残存の風景や事物の内なるものを開示し、日々生きる草莽(そうもう)の囁(ささや)き、類型を超えた彼方の声やイメージを現在性で表出してほしい。

「ほんとに書き表したいことは/書けないかもしれないと/思う時がある/自分でも気付かないかもと/思う時がある」(とおいあなた)

 水彩画家であり、俳人でもあるローゼル川田の〈ほんと〉はどこにあるか。

 (松原敏夫・詩誌「アブ」主宰)


 ろーぜる・かわた 那覇市首里生まれ。水彩画家、エッセイスト。設計アトリエ主宰。主な著書に「琉球風画夢うつつ」、詩集に「廃墟の風」など。詩誌「あすら」同人。「今はむかし むかしは今」で本紙主催の第45回山之口貘賞受賞。