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<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>107 地域と組踊(12) 「引用」で結末を暗喩も


<聴事(チチグトゥ)を求めて 組踊初演300年>107 地域と組踊(12) 「引用」で結末を暗喩も 中城村南上原子ども組踊塾生による創作組踊「糸蒲の縁」を演じる子どもたち=2021年3月、中城村吉の浦会館
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 与那国に伝承されている「勝連の組」にも先行する組踊作品からの「引用」が指摘できる。本作は「勝連」という名が付いた作品であるが、その内容は護佐丸・阿摩和利の乱とは一切関係のないものである。

 本作は勝連の按司の子、乙樽の美貌に心奪われた鮫川の按司が、勝連の按司を殺し、乙樽をわがものにしようとたくらむが、最後は乙樽と亀千代姉弟に鮫川は捕まり、国頭按司のもとで鮫川の按司を打ち首にすることで、乙樽・亀千代は親のあだ討ちを遂げる、というものである。本作でも原遊びの場面で鮫川の按司が「あゝ、今日や波の声ん聞かぬ 押す風もすだしや、一つ飲であすば おがたちもあすび」と「護佐丸敵討」のあまおへの詞章と似た詞章を述べている。さらには酒宴の場面で踊る際、音曲は異なるが「かにやる御座敷に 御側寄て拝で 我身やればわどい つでど見やべる」の詞章が用いられている。これは単に「護佐丸敵討」から酒宴の場を「引用」したのではなく、このような詞章の述べたあまおへが酒宴の結果として護佐丸の遺児に討たれたように、鮫川の按司がこの後、乙樽・亀千代姉弟によって討たれるということを暗喩していると考えられる。

 このような「引用」という手法を用いて組踊を創作するという方法は、田里朝直によって始められ、田里朝直以降の組踊作品は音曲や詞章、場面など、先行作品の印象的な部分を「引用」することで、創作される作品の結末を暗喩したり、場面のイメージを膨らませたりしている。そのような「引用」のほかに作品独自の展開や世界、あるいは他の芸能(能楽のような大和芸能、もしくは琉球芸能)からの影響を織り交ぜて、組踊は成り立っていると言える。

 言い換えれば、組踊作品の中で詞章や音曲、場面が「引用」されている数が多い作品は、組踊の作者たちが組踊の中で優れている表現であると認めている部分ということである。あだ討ちが主題の作品であれば、朝薫の「護佐丸敵討」や朝直の「北山敵討(本部大主)」がそれに該当すると言えよう。

 また、「仲村渠真嘉戸」や「大南山」、「花城金松」のように恋愛に関する作品は、「手水の縁」の歌や詞章を「引用」している。これらの作品を創作する場合でも、仇討が主題の作品が「引用」していることをヒントにして、作品を創作したと考えられるのではないだろうか。

 地域や地方オリジナルの組踊は今後も「発見」や新たな創作によって誕生するだろう。組踊の創作方法の一つに「引用」があることを、古典作品がおのずと示しているからである。「引用」をどのように発展させているか、そして発展した先に、どのような独自の表現があるのかを楽しむことが、組踊の本当の楽しみ方なのかもしれない。

 (鈴木耕太、県立芸大芸術文化研究所准教授)