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待望の原画 胸高鳴る 返還へ相次いだ好条件 高安藤<返還の軌跡・異国に渡った文化財>中


待望の原画 胸高鳴る 返還へ相次いだ好条件 高安藤<返還の軌跡・異国に渡った文化財>中 FBIがホームページ上で公開した、流出文化財の返還作業の様子を写す動画の一場面。画面には尚育王の御後絵が映っている
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 米国務省の申し出を受けて、県側の行動は早かった。すぐに県教育委員会から県文化課補佐の名嘉政修氏、文化課文化財係長の萩尾俊章氏、そして那覇市文化財調査審議会委員の真栄平房敬氏の3人が推薦された。3人の面接、書類提出、招聘(しょうへい)するための申請書の準備、特に時間がかかる米国でのスケジューリングなど、在沖米国総領事館とワシントンの国務省の連携で、通常だと何カ月もかかるプロセスがスピーディに行われた。3人は2000年10月13日に沖縄を出発し、16日間の日程を無事終了して28日に帰国している。G―8サミットは同年の7月23日に終了しているので、出発までに3カ月も要さなかった。

 帰国後、県は流出文化財に関する正式なリストと写真・絵図資料を作成し、01年3月末日に在沖米国総領事館および在日米国大使館宛てに登録依頼を行った。その結果、6月28日付で県はFBIやINTERPOL(インターポール)などへ「盗難美術品」として尚家関係文化財13点(王冠1点、御後絵(おごえ)11点、唐御衣裳1点など)を登録した。戦後55年目にして、県は失われた文物で最も貴重な歴史的・文化的遺産を国際調査のために盗難品として登録することができたのだ。

 FBI盗難美術品リストへの登録という今までにない具体的かつ広範囲の探索ツールを得たことで県側は喜んだが、その後、尚家宝物が見つかるまでに23年もかかった。中城御殿から持ち出されてから79年、そして「おもろさうし」が見つかり、持ち出した人を特定してから70年が過ぎている。

御後絵の発見

 昨年、ボストン近郊の私邸で、亡くなった父親の遺品を娘が調べていると、価値のありそうな巻物や陶器、古い地図と、「終戦直後に沖縄で収集された文物」と書かれた紙が出てきた。娘がFBI盗難美術品リストを検索すると、01年に盗難品として登録された御後絵が出てきたため、すぐにFBIへ連絡。すると、FBIは沖縄県が登録時に提供したモノクロ写真と比較して本物だと確認した。これらの文物はその後、マサチューセッツ州からワシントンD.C.のスミソニアン博物館に運ばれ、御後絵は学芸員の手で丁寧に広げられた。

 待ち望んでいた彩色された原画が見つかったのだ。球球国王の鮮やかな色彩の肖像画が現れてくる学芸員の手元を想像するだけで、私の胸は高鳴った。

 1953年に「おもろさうし」がボストンで見つかり、私たちの「沖縄の宝物」の探求は、ボストン・スタンフェルトコネクションとして、この70年間ボストン近郊に焦点が絞られていた。この度の発見と返還で「やっぱり、ボストン辺りにあったんだ」との嬉(うれ)しい感覚が、ストンと私の中に落ちてきた。小説のように、返還につながる好条件が偶然重なっていたのが嬉しかったのだ。

重なる幸運

 まず、他界した父親の遺品の中で見つかった。盗難美術品ではよくある話だが、他界していなければ見つかっていなかった。二つ目は、20点以上が一件のコレクションとして購入されていることからまとめて発見、返還された。FBIリストに登録されている御後絵以外の文物も、沖縄の物だと確定できた。ただし、1点、1点が高価な美術品として購入されていなかったようで、その歴史的価値の認識がなく、屋根裏部屋に捨て置かれていた。

FBIの盗難美術品リストに登録された玉冠や皮弁服、御後絵など沖縄由来の文化財

 三つ目は、1枚の御後絵が3分割されているのは、修復を試みたのか。よほど劣化が進んでいたのだろう。額縁に入っているのは壁にでも掲げていたのか。幸いにも、破棄されずに残っていた。

 四つ目は、22点のコレクションのうち、2点がFBIリストで盗難品だと特定されていたことで、全てが盗難品だと推測できたこと。五つ目は、「終戦直後の沖縄で収集された」と書かれた書面があり、スタンフェルト関連の盗難品との断定ができた。六つ目は、FBI盗難美術品リストを検索する知恵や機知に富んだ娘が相続人であった。これはでき過ぎた偶然で、神に感謝したい。リストで特定されていなければ発見がさらに遅れ、劣化や剥離が今よりひどくなったはずだ。

 七つ目は、FBIが関わったことでスミソニアン博物館に適切な梱包を、米陸軍やNCIS(米海軍犯罪捜査局)に輸送の手続きを依頼し、無事に沖縄に引き渡された。約80年前の沖縄戦で、米兵によって持ち出された戦利品の返還である。米国政府が発見から返還までの全ての費用と労力を提供するのに、どの関係機関も積極的で協力的であったと、先日行われた御後絵のお披露目式に出席したFBIの方から聞いた。

 八つ目は、連絡を受けたFBI捜査官は御後絵を受け取った後、損傷を恐れ、自分の手で美術品を広げたりしなかった。スミソニアン博物館まで移送され、そこで専門家の手により広げられた。これは米国で大きく報道されたので、個人の屋根裏部屋に保管されていた絵が、沖縄の人々にとっていかに貴重なものであるかが多くの米国人、特にマサチューセッツ州の人々に伝わった。

(元在沖米国総領事館・広報文化担当補佐官)
(次回は21日掲載)


 たかやす・ふじ 1943年、うるま市生まれ。68年米アイオワ州立大卒業(英文学)、2004年琉球大学大学院卒業(歴史学)。1985年から2009年在沖米国総領事館に勤務。広報文化担当補佐官として定年を迎える。03年に3回渡米し、沖縄の文化財を調査。13~20年沖縄科学技術大学院大学評議委員、11年よりぬちまーす副社長。