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市民が連絡、無償返還 コレクターいまだ複数存在 高安藤<返還の軌跡・異国に渡った文化財>下


市民が連絡、無償返還 コレクターいまだ複数存在 高安藤<返還の軌跡・異国に渡った文化財>下 元米海軍中佐のスタンフェルトが、1970年代にオークションに出品した沖縄由来とみられる物品のレシート(琉米歴史研究会提供)
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 九つ目は、FBIリストに登録されている皮弁冠や皮弁服、数点の御後絵はまだ見つかっていないが、ボストン辺りにはスタンフェルトからオークションなどで直接購入した「沖縄の宝物」が相続されたか、第3者に転売されたかで、宝物をまとめて所有しているコレクターが何人かいると推測できる。今回の報道で自分が所有するコレクションを見直すきっかけや動機付けになることは間違いない。大きめの巻物らしきものがあったのを思い出し、広げてみるだけで、琉球国王の御後絵かどうかは一見して分かる。それは中国の影響を受けながらも、沖縄独特の定型技法で描かれているからである。

 十個目は、FBIは今回の発見で最も大きな収穫は、盗難品だと知った市民がFBIに連絡したことであり、「深く感謝している」と述べている。手元に貴重な文物らしきものがあれば連絡するよう呼び掛けているのだ。そして最後は最も大事なことで、相続人である娘が無償の返還をしてくれたことだ。娘は匿名を希望しているという。ボストンに出向いて、感謝の気持ちを直接伝えられる日が来ることを願っている。

プロビナンス

 今回のように、個人コレクターが収蔵している盗難美術品は、相続された時に売買の対象として表に出てくる場合が多い。コレクションは遺贈できるが、コレクションに対する愛着や執着は遺贈できないからである。見つかるまでは長期戦である。しかし、今回の返還と同様なパターンでボストン周辺から他の文化遺産も、それも、まとまって見つかる可能性があると思う。

流出文化財のお披露目式であいさつする高安藤さん。返還実現に向け奔走した在沖米国総領事館・広報文化担当補佐官時代を振り返った=4月30日、那覇市の県立博物館・美術館

 沖縄の宝物が博物館・美術館に購入か寄贈され、収蔵されている可能性も否定はできない。スタンフェルトは1946年に、地元の博物館やハーバード大学に沖縄の文物の鑑定を依頼したり、売買の交渉を行ったりしている。最も身近なボストン美術館にも売買のために行ったに違いないと思うのが自然である。特に、御後絵は美術品としても一級品だと思うし、日本絵画のコレクションが世界一といわれているボストン美術館が、沖縄独特の技法で描かれている歴代国王の肖像画の購入を持ち掛けられた時に果たして断っただろうか。ただ、スタンフェルトが売買のためにボストン美術館に行ったという証拠はなく、あくまでも推測である。

 戦利品の売買は終戦直後も今も違法である。しかし、終戦直後のどさくさに紛れてプロビナンス(来歴)が明らかでない戦利品などの美術品が売買や寄贈の対象になっていた。特に皮弁冠や皮弁服、御後絵は日本風というよりも唐風なので、専門家でも中国の分物だと判断しかねない。ボストン美術館だけでなく他の美術館・博物館も、特に隠すつもりはないが、あいまいなプロビナンスが見直されないまま収蔵されている盗難品があるだろう。

 昨年、ニューヨークのメトロポリタン美術館は、収蔵している美術品コレクションの中に、不正に取得したものがないか見直すための大規模な調査を実施すると発表した。専門家の徹底した調査で盗難品だと分かれば、返還も辞さないとのスタンスである。他の美術館・博物館も自館が所有する収蔵物のプロビナンスを調査する流れになると思うので、意図的に隠すつもりがなかった「沖縄の宝物」の所在が明らかになるとの希望が出てきた。専門家が徹底的に調査をしても、盗難品かどうか、元の所有者や国名を特定できない場合も多々あると思うが、この度の発見で米国でも大きく報道された色鮮やかな御後絵を見たアメリカ人は、素人でも専門家でも、いまだ行方不明の他の御後絵を一見しただけで御後絵と識別できるはずである。なぜならば、色彩は別にして、全ての御後絵は定型化された琉球独自の様式で描かれており、国王の姿がひときわ大きく、臣下や従者がことさら小さく、背景の構図も似て、独特である。

人類の文化遺産

 今回、御後絵などの返還が実現した3月15日以前に「中城御殿から持ち出された文物が見つかったらしい」と知らせがあった時、喜びがこみあげてきて目がうるんだ。御後絵や皮弁冠という言葉の意味さえ知らず、ましてや、それらが沖縄にとってなぜ貴重な歴史的・文化的遺産なのかも当初深く知らなかった私が、クリントン大統領の来沖とFBI盗難美術品リストへの登録に関わることができた。「実現できずに残念でした」と、私も終わらせたくなかった。59歳で大学院に入学し、2003年に3度単独で渡米し、米国の33の博物館・美術館に収蔵されている2千点近くの沖縄の文化財のプロビナンスを調査した。それらは合法的に取得された文物であり、他の多くの国々の文物と同様に「人類の共通の文化遺産」として米国で大切に保存・収蔵されていることを論文として報告した。

 御後絵は一般公開の前に修復が必要であろうし、デジタル化も必要であろう。堅固な城跡をイメージして建設された県立博物館・美術館に彩色された琉球国王の肖像画が展示されているのを見に行く日を楽しみに待ちたい。

 今、私たちは2026年に完成予定の首里城正殿を心待ちにしている。番所・南殿に掲げられていた歴代の琉球国王の全ての御後絵は戦後長らくモノクロであった。今後は返還された色鮮やかな御後絵を何枚か掲げることができる。そのためにも、北殿と南殿の早い完成も心待ちにしたい。

 (在沖米国総領事館・元広報文化担当補佐官)


 たかやす・ふじ 1943年、うるま市生まれ。68年米アイオワ州立大卒業(英文学)、2004年琉球大学大学院卒業(歴史学)。1985年から2009年在沖米国総領事館に勤務。広報文化担当補佐官として定年を迎える。03年に3回渡米し、沖縄の文化財を調査。13~20年沖縄科学技術大学院大学評議委員、11年よりぬちまーす副社長。