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沖縄という風景の現在地 日常的な物語の舞台 <アニメは沖縄の夢を見るか>(31)


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挿絵・吉川由季恵

 アニメに描かれる沖縄がもはや特別なものではなく、日常的な物語の舞台となっていることは、この連載でも指摘してきた。沖縄の風景や文化、産物はしばしば独自の意味を削除した装飾として使われ、ちょっとした遊び心の表現となっていたりもする。だから『リコリス・リコイル』(2022)の最終話に宮古島の場面が登場してもさほど驚きはないし、わざわざその意味を解きほぐす必要も感じられない。

 以前取り上げた『映像研には手を出すな!』(2020)の「かねひで」風店舗や、新海誠監督の『言の葉の庭』(2013)に一瞬出てくる冷やし中華の具材としてのゴーヤーなど、遊び心的な引用も数え上げればきりがないだろう。

 一方、『阿波連さんははかれない』(2022)は、沖縄出身の水あさとによる同名コミックが原作となっている。人との距離がうまく取れない小柄な女子高生と隣の席のライドウ君を中心とした学園ラブコメだ。登場人物には阿波連のほか、大城、宮平、桃原などの沖縄姓が多く、「にーにー」「ねーねー」という言葉も使われるが、沖縄が舞台というわけではなさそうだ。

 またスケボーをテーマにした『SK∞』(2021)には、栄町市場など那覇の風景が描き込まれていたが、あえて沖縄を舞台にする意味は伝わってこない。それは沖縄の離島を舞台としたボーイズラブの物語『海辺のエトランゼ』(2020)も同じだ。

 北海道の実家を飛び出して座間味島に移り住み、民宿を手伝いながら小説を書いているゲイの青年・橋本駿は、ある日知花実央(みお)という男子高生を見初める。ベンチに独り座ってぼんやり夜の海を眺める実央は、二人で暮らしてきた母親を亡くしたばかりだった。

 駿は実央に声をかけるが、同情めいた言葉に反発した実央は「気持ち悪い」と駿を拒絶する。高校時代にゲイであることを笑いのネタにされたトラウマを抱える駿は、実央の言葉に傷つく。後日、心を開いて駿と気持ちを通わせた実央だが、本島の施設に入ることになったため、二人にはいったん別れが訪れる。それから三年後、二十歳になった実央が座間味島に戻ってくる…。

 海、空、風、花々といった離島の美しい自然が、揺れる二人の心を映し出す。また国際通りや桜坂劇場が登場する夜の那覇の場面では、都会の雨が不安と期待の入り交じった二人の思いを切なくぬらしていた。ただし沖縄は駿の逃避先というお約束のパターンで、北海道と対比的に描かれてはいるものの、その風景に物語の舞台としての必然性は読み取れない。

(世良利和・岡山大学大学院非常勤講師)