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<書評>『日本社会とポジショナリティ』 沖縄語る上での必読書


<書評>『日本社会とポジショナリティ』 沖縄語る上での必読書 『日本社会とポジショナリティ』池田緑著 明石書店・5280円
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 本書が世に出た以上、ポジショナリティの問題を回避して基地問題や琉日関係を語ることはもうできない。ポジショナリティ概念を知れば日本人(やまとぅんちゅ)が琉球人(うちなーんちゅ)を騙(かた)る「アインデンティティ盗用」も「文化の盗用」も「感動ポルノ」的に沖縄を表象・報道することも不可能となるはずだ。「沖縄県差別のない社会づくり条例」の保護対象も「沖縄県民」から「琉球人」への改正が不可避だ。なぜなら、本書が定義するポジショナリティとは「所属する社会的集団や社会的属性がもたらす利害関係にかかわる政治的な位置性」であり、「自らが帰属する集団の利害によって個人が負う責任の様態を指す概念」だからだ。

 日本人は一人残らず琉球人に基地を押しつけている。これが、そのポジショナリティによって日本人が有している客観的な事実だ。よって、ポジショナリティから目を背けると、日本人によるあらゆる沖縄報道や研究、映画やドラマ製作から琉球人に対する日常的な接し方までもが差別的とならざるを得ない。アイデンティティ概念では解明不能なこのような日本人の現実を白日の下に晒(さら)すのがポジショナリティ概念なのだ。

 ポジショナリティはアイデンティティではない。血統でも運命でもない。ポジショナリティは変えられるし、なくすことができるからだ。つまり日本人は日本人をやめられないが、琉球人への米軍基地の押しつけならやめることができる。その方法の一つが基地の引き取りだ。概念定義の「個人が負う責任の様態」とはこのことだ。

 編者・池田緑の簡潔な理論的整理の上に高橋哲哉、桃原一彦らによる事例分析も豊富な本書こそ、沖縄を語る上での必読書だ。特に、知念ウシの鹿野政直・新城郁夫言説への根源的批判は秀逸だ。また、日本フェミニズムにポジショナリティ概念をほぼ初めて本格的に導入した江原由美子の分析も画期的であり、山根俊彦の同概念によるマイクロアグレッションの分析も日本初の試みではないか。ポジショナリティで沖縄への日本人の行為を分析することにより、日本社会全体の分析が可能となるのである。

 (野村浩也・広島修道大学教授)


 いけだ・みどり 1968年富山県生まれ。大妻女子大学社会情報学部准教授。専攻は社会学、ポストコロニアリズム論、ジェンダー研究。主な共著書に「植民者へ ポストコロニアリズムという挑発」など。