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日本軍から20万人以上を救った南京のシンドラ―「ジョン・ラーベ」 桜坂で上映会、ドイツ人監督「歴史知ること必要」 沖縄


日本軍から20万人以上を救った南京のシンドラ―「ジョン・ラーベ」 桜坂で上映会、ドイツ人監督「歴史知ること必要」 沖縄 「ジョン・ラーベ 南京のシンドラー」のトークイベントに登壇する(右から)通訳の吉井巧一、フロリアン・ガレンベルガー監督、山里孫存監督、モデレーターの内間直子=6月30日、那覇市の桜坂劇場
この記事を書いた人 Avatar photo 嘉手苅 友也

 1937年の日本軍による中国・南京侵攻の最中、20万人以上の中国人を救ったとされるドイツ人実業家ジョン・ラーベを題材にしたドラマ映画「ジョン・ラーベ 南京のシンドラー」(2009年公開)の上映会が6月30日、那覇市の桜坂劇場であった。同作のドイツ人監督、フロリアン・ガレンベルガーが上映後に登壇し「ドイツ人もホロコーストという重い歴史がある。歴史を知ることは日本、中国、ドイツにも必要な経験。自国の文化に興味を持つきっかけになれば」と話した。主催は沖縄ドイツ協会、桜坂劇場。

 ジョン・ラーベは当時の電機メーカー、シーメンスの南京支社長として長年滞在し、ナチス党員だった。日本軍の侵攻後、南京に残留した欧米人が設立した「南京安全区国際委員会」の委員長として、人道支援に努めた。ドイツに帰国後は日本軍の暴虐を訴えようとするも、ナチスの政策に反するとして脅迫を受け、極貧のなかベルリンで死去した。死後、日記の発見により、ラーベの存在が知られるようになった。

映画「ジョン・ラーベ」のワンシーン(提供)

 同作品は、ドイツ国内の映画賞受賞歴がある。ガレンベルガー監督によると、南京大虐殺や皇室関係者を扱うことがネックとなり、日本では配給会社がつかなかったという。

 映画製作のきっかけは1枚の写真。日本陸軍の戦闘機の攻撃から、ナチスの旗の下に隠れる中国人らをとらえた写真を制作陣が見つけた。調査に入ろうとするが、当初、中国当局からは製作の許可が下りず協力を得られなかった。当時南京にいた中国人の男性を探し出し取材すると、ラーベと同じ住所に住み、旗の下に隠れた1人だったことが分かった。

 ナチス党員であるラーベを題材にすることはドイツでも困難だったが、ガレンベルガー監督は中国人の証言者との出会いに使命感を感じ「歴史をオープンにするのが仕事だと思った」と語った。

 上映後のトークで、県出身の映画監督・山里孫存も登壇して意見を交わした。「映像作品として広く訴えられる力を感じた。(同じように)沖縄の物語を発信することで沖縄を変えられる」と再認識したようだった。

 (嘉手苅友也)