2019年に起きた首里城火災から、31日で丸5年が経過した。跡地では、国と県による連携で「令和の復元」作業が進められ、2026年には正殿が完成する見通しだ。14日に那覇市の県立博物館・美術館で開催された第21回琉大未来共創フォーラム首里城再興ネットワークシンポジウム2024では、「令和の復元でできる新しいこと」をテーマに、首里城関係者や研究者が、より良い復元にするために、現場では何が求められているのかさまざまな意見を交わした。ポスターセッションでは、首里高校や興南高校の生徒らが、それぞれの取り組みを紹介した。
<基調講演>安里進氏(県立芸術大学名誉教授) 検証と修正はエンドレス
第1部では、国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」の委員などを歴任した県立芸術大の安里進名誉教授が「令和の首里城復元―新たな知見への異なる対応」と題して基調講演を行った。要旨は以下の通り。
令和の首里城復元に向けた国・県の検討作業で、平成復元を見直す新たな知見が多数得られた。これらの新知見に対して、「平成復元を修正」、「修正は将来の課題」という異なる対応で事業を進めている。その中から、「玉座御床と皇帝扁額の黄塗と黄色塗」と「屋根瓦の灰色瓦と黒塗瓦」の二つの事例を通して首里城復元の意義を考える。首里城復元は、検証と修正を繰り返していくエンドレスの事業である。
文化財の復元は、現代の私たちとは異なる価値観や美意識、アイデンティティーを持つ先人(琉球人)と向き合う行為である。
1709―1766年の約半世紀で焼失、解体、修繕と何度も正殿は変容している。屋根の瓦は1660年ごろは灰色だったが、18世紀前期から赤色になった。玉座の位置も南側から1729年に中央に変わり、形も変化している。
大龍柱は5回は作り替えられ材質も変化している。欄干の一部は1729年に台石が造られた。1722年に王府内で討論があったことが分かっている。
18世紀に正殿と周辺空間が変容した。そこは冊封儀礼を行う施設で外交の場。正殿は対清朝関係の中で、揺らぎ変容している。琉球アイデンティティーを発揚する場ではなかった。
平成復元から、漆、瓦、木や石の彫刻など新たな知見があった。
黄色は、王家の色とも言われ高貴な色だとされていたため、正殿中枢施設にも高価な石黄(せきおう)を用いて、黄色の漆塗装をしていると考えられていた。ところが、黄塗りを単純に黄色と考えることに疑問を抱かせる情報が多数あった。漂着民に支給した食膳具、欧米船員らが購入した漆製品の中に黄塗りの多くの日用品がある。これらの道具類が、高価な石黄を使用した高級漆器とは考えにくい。
グレードが高い黄色塗りと黄塗りの二つのカテゴリーがあり、黄塗りの色合いは石黄を使わない茶系色であることを確認した。
玉座の上に掲げていた中国清朝の皇帝扁額「中山世土」は朱色ではなく、黄色塗りにし、玉座は茶系色に変更することになった。
首里城の屋根瓦については、1700年代初頭に灰色だった瓦から、徐々に赤色瓦が増えていった。また、赤瓦をマンガンで黒化粧した黒塗り赤瓦もある。屋根の景観は灰色や赤瓦、黒塗り赤瓦と混色の瓦屋根であった。混色がどのような配置だったのかは分かっておらず、今後の課題だ。
首里城は、昔は二十、三十年ごとに修理や解体をしていた。それは携わった職人が存命のうちに修理することで技術を伝えていくエンドレスの作業だからだ。
屋根瓦は灰色瓦にできるのか。青い空に映える赤瓦は今や沖縄のシンボルともいえる。灰色瓦にするとアイデンティティーにもかかわるとして多方面から反発がある可能性がある。文化財復元と「民意」の問題がある。
新しい価値・空間の創造を
第4部は「令和の復元でできる新しいこと」をテーマに、パネルディスカッションを行った。安里進県立芸大名誉教授、藤井恵介東京大名誉教授、仲厚県土木建築部参事、国建の平良啓常務、首里まちづくり研究会のいのうえちず副理事長が登壇し、琉球大の木暮一啓副学長が司会を務めた。主な発言は以下の通り。(敬称略)
―今回の復元で、設計における新たな試みは。
平良「構造や色彩など基本的な考えは前回を踏襲している。前回の復元からこの30年で新たに得られた知見が相違点となる。正殿は残念ながら焼失したが、復元するからには新たな知見も取り込み、より往時に忠実な復元を目指す方針を確認している。特に今回は久志べんがらやイヌマキ、赤瓦など、積極的に県産材料を使っている」
―新しい知見は誰が研究・発見しているのか。
安里「基本的には研究者が分析する。王国末期の正殿写真や、鎌倉芳太郎が撮影した写真の高精細復元など、平成の復元時には十分活用できなかった情報も出ている。ただ、私の印象として平成の復元は九十何パーセントは当たりで、今回見直す部分はわずか。大部分は平成の復元は妥当だったと思う」
―価値を後世へ残すためにはどうしたらいいか。
藤井「建物は部分により傷む時期が異なるため、定期的かつ適切なメンテナンスが重要だ。正殿は前回の復元から30年がたち、これからお金がかかるという時に焼失した。例えば建物が国の重要文化財の場合、国が出資し修理するが、首里城は重文でないため建て終わったら補助金は出ない。今のうちから大小の修理費用の見積もりを含めた保存活用計画を自主的に作り、国と交渉するなど準備を進めた方が良い」
「また、書類は一定の保存期間が過ぎたら破棄される。設計や復元過程などを書籍で残し、国会図書館などで永久保存することも大事だろう。平成の復元時は写真集はあったが、建築業界で作った報告書のような書籍がなかった。設計時には膨大な資料をまとめるのに、保存されていないのはもったいない。今回の復元は国建が当時の設計資料を持っていたためうまくいった。設計資料は後世に引き継ぐべき大事な財産なので、行政がしっかり書き記し書籍として残すべきだ」
安里「記録の保存と同様に、現物の保存も喫緊の課題だろう。首里城の場合、さまざまな彫刻物などがあるが、既存の収蔵庫はすでに満杯だ。県や国が首里城関係のものを一括して収蔵保管し、後世に残すための施設を設けないと次の大改修で苦労する」
―価値に富んだ空間の創出に当たり課題は。
仲「火災前は周辺道路の交通渋滞が深刻で、地域住民は多大な影響を受けていた。正殿が完成すれば再び同じ問題が出てくる。県では渋滞緩和策として大型バスの予約システムを導入し、駐車場を管理している。今後も周辺駐車場の満空状態を網羅できるアプリを検討し、周辺住民に配慮した観光の在り方を模索したい」
いのうえ「正殿完成後は間違いなく渋滞が戻って来るため、オーバーツーリズムにならないための仕組み作りと併せて、首里城公園周辺に新たに駐車場を設けるなどハード面の整備がないと追いつかないだろう」
「26年以降は周辺の歴史文化資源も整備され、首里城から外への人の流れやお金の流れも変わるだろう。近年、旧来の通り会とはひと味違うネオ(新しい)商店会ができ、園内で朝市やお酒を飲むイベントを開いている。首里城は観光地という従来の概念を覆し、地元住民も首里城で盛り上がるというシフトチェンジも見えてきた。県や美ら島財団、地域住民が定期的に意見交換する場もあり、風通しの良いまちづくりの機運が高まっている。正殿完成後に県の首里城復興課が無くなるのは残念だが、官民が多角的に協議できる場の継続は大切にしたい」
(宜保靖、当銘千絵)