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仏壇の人はどんな人なの 安里拓也(さびら平和学習講師)<未来へいっぽにほ>


仏壇の人はどんな人なの 安里拓也(さびら平和学習講師)<未来へいっぽにほ> 安里 拓也
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 お歳暮を手土産に親戚の家を巡る。知らない名前が並んだ仏壇に手を合わせる。トートーメーに刻まれた名前は誰だろう。父さんや母さんに聞いても分からないと言う。小さい時からずっと疑問に思っていた。

 2017年、大学生になった私は、講義の一環でおばぁ(祖父の姉)の戦争体験を聞くことになった。

 おばぁは当時15歳。島民の半分が犠牲になった伊江島で、弟、おじぃ、いとことその子どもたちの合わせて6人で島中を逃げ回った。艦砲射撃や空襲が激しくなってきた3月下旬からは、大きな防空壕で避難生活をした。食べ物や水が底をつきかけた4月上旬、防衛隊に召集されていた父ちゃんが壕にやってきた。父ちゃんは子どもたちが飲まず食わずの状態と知り、「やー(家)から黒砂糖をとってくる」と言って夜更けに壕を出た。これが父ちゃんと最期の会話になったそうだ。

 翌朝、父ちゃんを探しに行ったが、遺体の数が多く、見つけることができなかった。壕の近くに爆弾が落ち、その場を離れた。おばぁたちは壕を転々としたあと米軍に捕まった。戦後、戦争で全て破壊された伊江島は米軍基地となり、住民が帰ることができたのは2年後。生き別れた場所には遺骨も何も残っていなかった。

 「父ちゃん」は私にとってのひいおじい。家族を心配する優しい顔が浮かんで見えるような気がした。2017年の慰霊の日、摩文仁の刻銘版に刻まれた名前をなぞるように手で触れた。そしておばぁの話を思い出しながら、手を合わせた。刻銘された24万人の1人、私のひいおじい。お正月の景色が少し変わって見えた。