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本当に、それでいいのか 安里拓也(株式会社さびら 平和学習講師) <未来へいっぽにほ>


本当に、それでいいのか 安里拓也(株式会社さびら 平和学習講師) <未来へいっぽにほ> 安里 拓也
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 福島第一原発が近づくに連れ、車窓の景色は空き地か太陽光パネル。時々見える建物は真新しいものばかりだった。放射線測定器を手に持ち、バリケードを通過し帰宅困難区域に入った。

 東日本大震災当時は、小学6年生だった。テレビはちょうどデジタル放送への切り替えが進み、鮮明に映し出された津波に、遠く離れた沖縄でも恐怖を感じた。それから13年、娘を持つ父親になった私は、語り部の木村紀夫さんの案内のもと福島県大熊町を訪れた。石巻市大川、広島、水俣、沖縄で活動している人たちが集まり、「残す、伝える意義」について話し合う「伝承の仲間づくりサミット」に参加するためだ。

 初めに訪れたのは大熊小学校。3月11日と書かれた黒板や机に出しっぱなしの教科書たちはあの日のままだった。小高い丘に移動し、廃炉に向かって進む原発や汚染土壌などの中間貯蔵施設を見学した。土地の買い上げや具体的な計画も示されないまま進んでいくことは、沖縄のどこかで見た景色と重なった。

 木村さんの自宅周辺は、想定を超える10メートルの津波が襲い、3人の家族が亡くなった。約11年の後、次女ゆうなさんの遺骨の一部をガマフヤーの具志堅隆松さんと見つけた。同じ父親として、考えたくないほどつらい。「大熊にも過去、津波は来ていた。私たちは知らなかった」。涙を流しながら当時の状況や捜索活動について話す木村さんの言葉は、過去から学ぶ意義を強く示した。

 知ることで戦争と公害は止められる、震災は減災できる。助かる命が増える。誰もが分かっているはずなのに、「知らなかった」が繰り返されるのはなぜだろう。