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夢が生まれた日 上條さなえ(児童文学作家、元埼玉県教育委員長)<未来へいっぽにほ>


夢が生まれた日 上條さなえ(児童文学作家、元埼玉県教育委員長)<未来へいっぽにほ> 上條さなえ
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 「君はおいしそうなパンを持っているね。僕の妻が作ったお弁当と交換してくれないか」

 今から63年前(1961年)の10月、養護学園に送られていく日、汽車の中で「山下」と名札を付けた先生から、そう声を掛けられた。私の手には、あんパンとジャムパンの二つが握られていた。その1年前の10月から、私は父に連れられて安宿を転々とする日々を過ごしていた。父は実の父であったにもかかわらず、私を認知していなかった。戦争で夫を亡くした母は、2人の子を連れて父と同居し、私が生まれた。私の出生届はすぐに出されなかった。父には別に妻がいたからだと、母は後に教えてくれた。

 私の小学校入学と同時に父は離婚したが、その頃には母の父への愛は消えていて、父の仕事の失敗とともに同居生活も終わった。その後、母は私を置いて出て行った。子どもだった私に、理由を知るよしもなかった。

 母の姓を名乗る私を連れていた父は「お父ちゃん、もう疲れちゃったよ」と言って1枚の書類を見せた。当時千葉県にあった「竹岡養護学園」の入園説明書だった。

 いつもなら父がお昼に買ってくれるのはあんパンかジャムパンのどちらか一つだったのに、入園の日だったからか、二つを買ってくれたのだ。でも、山下先生のお弁当は1年ぶりの家庭の味で、パンよりおいしく感じた。空になった弁当箱を返しながら、私は山下先生に聞いた。「なぜ、お弁当をくださったのですか」と。山下先生は「教師にとって教え子は大切な存在だから、君にみんなと同じようにお弁当を食べてもらいたかったのだよ」とおっしゃった。

 私に生まれて初めて夢が生まれた日だった。

上條さなえ かみじょう・さなえ

 小学校教員を経て1987年児童文学作家デビュー。著作は60冊。幼少期にホームレス同然の暮らしを送った体験記も出版。元埼玉県教育委員長。現在は沖縄在住。50年生まれ、東京都出身。