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「岩戸は第二の故郷」 元沖縄県議の金城さん、80年前に疎開した高千穂で児童に語り掛ける


「岩戸は第二の故郷」 元沖縄県議の金城さん、80年前に疎開した高千穂で児童に語り掛ける 疎開当時の岩戸の様子を語る金城昌勝さん(右)と話を聞く5・6年生の児童ら=13日、宮崎県の高千穂町立岩戸小学校(提供)
この記事を書いた人 Avatar photo 田中 芳

 【豊見城】元県議で豊見城村議会議長などを務めた金城昌勝さん(89)が13日、沖縄戦当時の疎開先である宮崎県高千穂町(旧岩戸村)を訪れ、町立岩戸小(押方彰一校長)の5、6年生に向けて特別授業で講話した。金城さんは小学4年生だった1944年の9月から46年11月まで2年2カ月間、当時の岩戸村へ学童疎開した。金城さんは「苦しい時代に助けてもらった絆は永遠に忘れられない。岩戸は第二の故郷だ」と振り返った。

 地元の字真玉橋の区民が集い、元気なうちに再訪したいという金城さんを後押ししようと準備を進め、願いがかなった。豊見城市と高千穂町は学童疎開で縁が深まり、1995年に姉妹都市を結んだ。金城さんは締結にも尽力し、高千穂の人たちと交流を深めてきた。

宮崎県岩戸村(当時)に疎開した豊見城第一国民学校の児童ら。昌勝さんは前から3列目の左から2人目(豊見城市教育委員会所蔵)

 今回の訪問には金城さんにとって13年ぶりの再訪となった。

区民24人も同行した。疎開を経験した体験者が少なくなる中、当時の同級生との再会もあった。

 講話で金城さんは疎開に至った経緯や、沖縄から岩戸へ向かうまでの状況、現地での生活などを振り返った。「ヤーサン(ひもじい)、ヒーサン(寒い)、シカラーサン(寂しい)」状況の中でも、高千穂の人たちが親切に受け入れてくれたことへの感謝の思いを語った。

 児童たちはメモを取りながら聞き入り、質問も飛んだ。

 講演の最後に金城さんは「皆さんのおじいちゃん、おばあちゃんたちに助けられ、私が今こうやっている。皆さんはそれを誇りに思って、これから日本のため、地域のために活躍する人材になって」と呼びかけた。

 児童を代表してあいさつした6年生の児童(11)は「金城さんは小さい頃から苦しい時代を生きてきたのですごい。薪(まき)を取りに行って、火を付けてみんなで暖まったと聞いて驚いた」と感想を話した。金城さんは同小の児童らにサーターアンダギーなどを贈った。

 (田中芳)