少し前の話だが、学びの目標として分かりやすい「生きる力」という言葉がよく使われていた。
数十年前まで、子どもたちが地域で過ごす時間が長く、多様な遊びや探検を通し、さまざまな人と出会い「雑」に学ぶ経験が豊富にあった。街でも自然でも、多様な環境の中で主体的に動くと、数々の失敗と誤解の中から試行錯誤でき、非常に深い学びになる。昔の人の非常に強い「生きる力」は、そこから来たのではないだろうか。
開発と技術の革新により住環境が大きく変化し、現在の学びはマネジメントされた空間(学校)の中で、遠くの偉い大人が選んだ学ぶコンテンツ(カリキュラム)の下、デスクワークを中心に頭を使う勉強に集中してきた。地域での「雑の学び」の機会が非常に少なくなり、地域の中で世代を超えて培ってきた知恵も失われつつある。
近年、気候危機やコロナ禍という新たな局面で生きる力について改めて考えさせられる。日本の生活は長年、非常に安定していたが、環境の変化により多様な生きる力を学ぶ必要性はさらに重要になっている。では、生きる力を育むには、どうしたらいいだろうか。
一般的な意味の学力も現代社会を生き抜く上では必要で、全ての子どもに平等なチャンスを提供するのは、公的な学校教育の非常に重要な役割だ。学校がきちんと役割を果たせるように、教員の負担を減らし、学びの一部を地域に戻しても良いのではないだろうか。
長期的なビジョンだが、研究活動の一環で、学校と地域が協力して子どもたちに「雑の学び」のような多様な経験を促進できる地域づくりを始めた。小さな希望の実践だが、次回以降のコラムで共有したい。
琉球大学教育学部准教授。ベルリン芸術大で建築の修士課程を修了した。沖縄を拠点にアート・まちづくり・教育を横断的に結びつける国際的な活動を展開している。1966年生まれ、ドイツ出身。