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春二先生 上條さなえ(児童文学作家、元埼玉県教育委員長) <未来へいっぽにほ>


春二先生 上條さなえ(児童文学作家、元埼玉県教育委員長) <未来へいっぽにほ> 上條さなえ
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 竹岡養護学園に6年の夏までいた私は、その後、母に引き取られて東京の4畳半一間のアパートで暮らした。翌年、池袋の中学校に入学したが、どうしても制服が用意できず、私は私服で入学式に参加した。その日から私はなるべく目立たないように、うつむくことが多くなった。「ショボクレ」。同級生の男子が私をそう呼び始めた。でも、私は学校に行けることのありがたさが身に染みていたから、休むことはしなかった。母が必死で働いて制服を買ってくれた日のことは今も覚えている。

 3年後、中学校の卒業式を前に私は答辞の女子代表に選ばれ、男子代表は隣のクラスから選ばれた。毎日、答辞の練習で遅くなるので、2人で帰ることが多くなった。ある雨の日、彼が「傘を取ってくる」と言って自宅に寄った。私が外にいると家の玄関が開き、彼の父親が顔を出して「寒いから中に入りなさい」と声をかけてくれた。家の中に入ると玄関にたくさんの靴があり、若い男の人たちがいて、彼の父親は「春二先生」と呼ばれていた。

 卒業式の後、先生が「僕の作品が入選したから、日本橋三越に見に来ないか」と言ってくれた。私は外出着を持っていなかったので、「制服で行ってもいいですか」と聞くと、「もちろん」とうなずいてくださった。デパートに行くと、展示室の一角に先生の作品が飾ってあった。その作品を見て、先生が漆芸家だと知った。

 卒業式の答辞をともに務めた同級生は、後に蒔絵(まきえ)の人間国宝となった室瀬和美氏で、現在、首里城修復の委員も務めている。同級生の笑顔を見るたび春二先生の顔がよみがえり、心が温かくなる。

上條さなえ かみじょう・さなえ

 小学校教員を経て1987年児童文学作家デビュー。著作は60冊。幼少期にホームレス同然の暮らしを送った体験記も出版。元埼玉県教育委員長。現在は沖縄在住。50年生まれ、東京都出身。