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桜坂オリオン さらば「ヌギバイ」の日々 <沖縄まぼろし映画館>160


桜坂オリオン さらば「ヌギバイ」の日々 <沖縄まぼろし映画館>160 1978年ごろの桜坂オリオン(土井九郎撮影)
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 「ヌギバイ」とはウチナーグチで「無賃入場」のこと。ご年配の方々に昔の映画館についてお聞きすると、多くが子どもの頃にヌギバイした思い出を語ってくれる。誰もが貧しかった終戦後から1960年代にかけての復興期において、ヌギバイとは夢の世界である映画に浸るためのスリリングな冒険だったのかもしれない。

 那覇市樋川出身の金城勝日出さん(66年生まれ)もそんな思い出を持つ一人。ただちょっと違うのは、彼がヌギバイをしていたのは80年代初頭だということ。

 「中学生の頃だね。あの頃は不良の全盛期。俺も仲間たちと学校をサボっていたけど、昼間から国際通りを歩いていたら補導されるし、ゲームセンターでも暴走族のニーニーたちに邪険にされる。弱い自分たちに居場所は無かった」

 そんな勝日出さんたちが目をつけたのが映画館だった。

 「あの頃の映画館は2本立て興行で入れ替え制ではないので長い時間いられる。金なんてないからヌギバイするしかなかった」

 勝日出さんは国際通りかいわいのさまざまな映画館でヌギバイを敢行した。

 「劇場に合わせたやり方がある。桜坂琉映館(現在の桜坂劇場)なら、隣のガジュマルを登って劇場の階段に飛び移り、2階の従業員通用口から忍び込む。国映館はいつも人でいっぱいだから、映画を見終えた観客がワッと出てきたところに紛れ込んで後ろ向きで劇場に入ってしまう。従業員に見つかって追いかけ回されたこともあるけど、捕まったことはなかったよ」

 ヌギバイのスリルにハマっていった勝日出さんだったが、いつものように忍び込んだ劇場で印象的な映画に出合った。

 「桜坂オリオン(現在のハイアットホテル那覇の敷地)で『さらば青春の光』(79年)を見たわけ。友だちはみんな寝ているし一人でスクリーンを眺めていたら、どうしようもない不良少年の物語で、まるで今の自分みたい。俺たちいつまでこんなことしているのだろう…ってウチアタイしてしまって」

 以来、勝日出さんはヌギバイを辞めたそうだ。

 そして40年余りたった現在。彼らがヌギバイしていた国際通り辺りの映画館はほぼ消えた。勝日出さんはというと、那覇市久米で「カンフーギョウザ」という古今東西のカルト映画をテーマにした居酒屋を営んでいる。勝日出さんが作るおいしい餃子と映画トークが売りで、毎晩、映画ファンが集う人気店である。

 (シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)