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国映館 かつてのランドマーク<沖縄まぼろし映画館>175


国映館 かつてのランドマーク<沖縄まぼろし映画館>175 提供:ドン・キューソン
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 多くの観光客が行き交う国際通り。かつてこの街にはランドマークとも呼べる建物がいくつか存在した。特に際立っていたのが那覇市松尾の「国映館」だ。

 前身は、1950年9月に戦後沖縄初のコンクリートの有蓋(ゆうがい)劇場として開館した「世界館」(社長・仲山興吉)である。54年9月、映画興行界へ参入したばかりの國場組が買収すると、劇場は建て替えられて、翌55年8月31日に「國映館(国映館)」として華々しくオープンした。最新鋭の映写機や冷房施設、地下にナイトクラブ(56年開店)まで備えた劇場で、東京の「日比谷映画劇場」を模したドーム型の屋根と曲面を生かした外観が特徴的な建物。以降、国際通りの顔として愛された。

 当時の「国映館」を捉えた航空写真がある。持ち主のドン・キューソンさんは戦後沖縄の写真収集家で、それらを掲載したサイト「REMEMBERING OKINAWA」を運営している。

 写真を見てみると、瓦屋根の木造家屋が密集した街の中において、「国映館」はひときわ大きく目立っている。屋根の中央に取り付けられたカタカナの「コ」をあしらったひし形の看板は、國場組のロゴマークである。また、劇場の左手前に巨大なガンマンの切り抜き看板が2体ある。左手空き地には映画看板が置かれている。これらは55年4月に日本公開された西部劇『ヴェラクルス(ベラクルス)』(54年)。当時の洋画は東京公開から半年から1年ぐらい遅れて上映されたことを考えると、56年頃の撮影だと思われる。

 筆者が「国映館」に通っていたのは中高校生なので、開館から30年余りたっていた頃だ。建物は幾分くたびれていたが、それでも独特の外観に迫力があった。当時、地下は名画座「シネマオスカー」に、劇場2階席は「国映アカデミー」に改装され、三つのスクリーンを有する複合型映画館になっていた。筆者にとって「国際通り」=「国映館」であった。

 2002年に閉館して2006年に建物が解体。その後、駐車場となっていたが、2020年に13階建てのホテル「コレクティブ」がオープン。今では「国映館」を知る者も少ないかもしれない。現在の国際通りにランドマークと呼べるものはあるのだろうか?

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)