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【対談】海勢頭豊×佐渡山豊 沖縄の反戦の心、歌に乗せ 迫る軍事化「気付くパワー伝承を」


【対談】海勢頭豊×佐渡山豊 沖縄の反戦の心、歌に乗せ 迫る軍事化「気付くパワー伝承を」 対談で思い出話に花が咲く海勢頭豊(左)と佐渡山豊=7月27日、沖縄市の琉球新報中部支社(喜瀬守昭撮影)
この記事を書いた人 アバター画像 田吹 遥子

 シンガー・ソングライターの海勢頭豊と、佐渡山豊。日本復帰前後の沖縄で音楽を始めた2人は、当時の沖縄の人々の複雑な心の機微や平和への思いをそれぞれの歌に乗せ、訴えてきた。海勢頭の「月桃」や、佐渡山の「ドゥチュイムニィ」など、2人の楽曲は今もなお多くの人に愛されている。9月8日の沖縄市市制施行50周年記念「ゆたかゆたかコンサート2024」を前に、出会いや音楽性、大事にしていることなどを聞いた。(聞き手・田吹遥子)


 ―出会いは。

 佐渡山豊 海勢頭さんのライブハウス「パピリオン」(1970年、中の町社交街にオープン)に殴り込みをかけて(笑)。

 海勢頭豊 客が入る前に練習させてと来ていた。彼(佐渡山)が琉大の学生時代に「沖縄フォーク村」を作って村長になっていた頃からの付き合いかな。那覇市民会館でのフォーク村のコンサートにゲストで呼ばれた。

 佐渡山 普久原恒勇さんと海勢頭さんは大先輩だから知っていた。自作自演の曲を演奏していたことに憧れた。先輩の歌を見本に自分たちもと。

 海勢頭 琉大でギタークラブを作って、自分で沖縄民謡をラテン風に編曲してアンサンブルで演奏していた。それに鍛えられた。

 佐渡山 海勢頭さんはギターで「アルハンブラの思い出」とか弾くわけ。神様だと思ったね。私も兄貴が質屋で8ドルで買ったクラシックギターから入ったけど、最初はDマイナーのギターコードしかできなかった。

 海勢頭 ギタークラブをギターアンサンブルにして、フルートとかベースとかチェロとか入れたりしながら交響曲の土壌を作った。82年ごろからクラシックバレエの「血の婚礼」や「太陽の反逆」というオペラもやった。

佐渡山 豊

 ―72年に「沖縄フォーク村」のアルバムが発売される。

 海勢頭 パピリオンに来ていた彼(佐渡山)がデビューして「したいひゃー(よくやった)」となった。お互いすみ分けしながら沖縄問題を訴えてきた。

 ―影響を受けた音楽やアーティストは。

 海勢頭 子どもの頃は耳から入ってくるものが多かった。古賀政男や小林旭とか。親子ラジオからはクラシックが流れてくるわけ。これが音楽の勉強。那覇の本屋でクラシックの本と「古賀30日間ギター」という本を買って練習した。

 佐渡山 最初にDマイナーを覚えたので古賀政男作曲の「影を慕いて」「酒は涙か溜息(ためいき)か」ができるようになる。ボブ・ディランにも影響を受けた。

 だんだん(人の曲を歌うのに)飽きて開拓精神が出てきた。初恋が芽生えて何か作らないといけないと歌ったとき、これは作曲か?みたいになる。作詞作曲をやっちー(海勢頭)は既にやっていた。「わんにーないんさー(自分にもできるかも)」ってなったわけ。

 方言を使うと不良と言われた時代、ドゥチュイムニィとか方言を歌詞に歌ったから、不良に感謝された(笑)。

 ―沖縄音楽の影響は。

 海勢頭 八重山の唄者・宮良高林の音楽を学生時代に聴いて感激した。スケール感のある律音階の世界だった。それで「とぅばらーま」とか、沖縄民謡をギターで弾くようになった。

 佐渡山 母が民謡の大御所、嘉手苅林昌の友達だった。林昌さんは馬車ひちゃー(馬車曳(ひ)き)の仕事が終わったらガジュマルの下で三線を弾く。楽譜を見ながらではなく、自由に自然に鳥の鳴き声に合わせて弾く。その土地にしかない、空間の中で生まれている音階で歌う。Cが少し下がってBフラットに聞こえる。それが心地よい。

 海勢頭 (CはCと)チンダミが合いすぎると気持ち悪い。

 佐渡山 そう。

 海勢頭 ヤマトでの公演でキーボードが使われたけど、音程が決まってるから気持ち悪いわけ。土臭さが出てこない。

 佐渡山 今の沖縄にはフラット気味の音階の心地よさや、(本土の音との)違いに気づくことが大事だと思う。この心地よさをみんな知らんふーなー(知らんふり)している。Cはこの音と決まっているからと合わせることを強要するのは、合わないものを排除している。人権を無視しているということ。

 海勢頭 三線は太鼓みたいなリズム楽器で、ある程度音程が合っていればいい。味が出てくる。それが沖縄の許容力、懐の深さにもつながる。

 ―音楽を作る際に大事にしていることは。

 佐渡山 人権が大事。「人類館事件の歌」や「第3ゲート」「ちがうでしょ」も人権を念頭に置いている。

 海勢頭 沖縄の文化を大事にすること。ヤマトは「美化」の文化。沖縄は「清ら」の文化。「清ら」は少ない言葉で語る。「清ら」から見つめた戦いの歴史や平和に対する思いを歌う。「月桃」には「戦争」という言葉は出てこない。

海勢頭 豊

 ―「月桃」はメロディーも優しい。

 海勢頭 サンニン(月桃)の花を見て浮かんだ。メロディーも子どもたちが歌えるようにしようと作った。

 ―今回の「ゆたかゆたかコンサート」は「いくさ世にさよなら」と平和と反戦の思いを強調する。パレスチナやウクライナでも戦争が起きている。沖縄でも自衛隊の基地建設が進み、辺野古でも本格的に工事が進む現状についてどう思うか。

 海勢頭 軍事力を正当化する国々にとって沖縄の精神世界は邪魔で、排除しようとしている。沖縄の精神世界は戦争のない、武器を持たない、憲法9条のもとになった思想を持っている。

 佐渡山 平和を大事にする気持ちを排除して軍事化が進む現状がある。それに気づくパワーが薄れている。一番危ない時を迎えている。気づくパワーを伝承したい。

 海勢頭 継続することに疲れてはいけない。諦めてはいけない。今こそ沖縄が中心になって立ち上がらないといけない。

 ―今回の見どころや伝えたいことは。

 佐渡山 いっこく堂が初出演。近所に住んでいたことがきっかけ。「ドゥチュイムニィ」を一番最初に聞いたのがいっこく堂。家の前で歌っていたら「この歌何ね、豊にーにー」と聞くから「独り言だよ」って言ったら「独り言って、長いね」って。ほかにもサプライズゲストがいる。

 海勢頭 若い人に歌の大切さ、メッセージの大切さを理解してほしい。


 うみせど・ゆたか 1943年与那城町(現うるま市)平安座島生まれ。18歳の頃からギターと音楽理論を独習。沖縄の社会状況を歌うシンガー・ソングライターとして全国的に活動。70年にコザ市(現沖縄市)にライブハウス「パピリオン」を開設。代表作に「喜瀬武原」「さとうきびの花」「月桃」など。

 さどやま・ゆたか 1950年コザ市(現沖縄市)生まれ。琉球大学に入学した70年から沖縄フォーク村の中心メンバー。上京してデビュー。73年に「ドゥチュイムニィ」を発表。78年に帰郷、音楽活動を停止。96年に活動再開、アルバム「HIRIHIRI」などを発表。


<用語>沖縄フォーク村

 佐渡山豊が1970年、琉球大学の学生時代に立ち上げ、日本復帰前後にフォークソングの担い手たちが集まった。メンバーの佐渡山、のひなひろし、魔夜中しんや、北炭生、ジーンズ、かんくろう、セイ・シモンらの楽曲が収録されたアルバム「沖縄フォーク村」は、アマチュアとしては異例の全国10万枚を超える売れ行きを記録した。


【ゆたかゆたかコンサート】来月8日、沖縄市民会館 招待券5組にプレゼント

 「ゆたかゆたかコンサートinKOZA2024」(まちづくりNPOコザまち社中主催)が9月8日午後3時、沖縄市民会館大ホールである。佐渡山豊と海勢頭豊のほか海勢頭愛、島田路沙、儀保ノーリー、国吉亮と、スペシャルゲストでいっこく堂が出演する。

 前売り3千円(当日500円増し)、高校生以下は前売り当日500円。問い合わせは電話098(800)1949。

 招待券を抽選でペア5組にプレゼントします。はがきに住所、氏名、年齢、電話番号を書いて、〒900―8525 那覇市泉崎1の10の3 琉球新報社文化芸能班「ゆたかゆたかコンサートチケットプレゼント」係まで。

 8月30日必着。当選は電話で通知します。当選チケットの受け取りは会場の受付で。