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首里劇場 喜劇の女王の思い出 <沖縄まぼろし映画館>158


首里劇場 喜劇の女王の思い出 <沖縄まぼろし映画館>158 仲田幸子さん(左)と沖縄芝居役者の堀文子さん
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 金城政則館長が4月9日に亡くなったことにより、現存する沖縄最古の映画館「首里劇場」(1950年開館)は閉館してしまった。だが筆者も参加している「首里劇場友の会」では、劇場の文化的価値を1人でも多くの方々に知ってもらうために6月5日を皮切りに内覧会を随時開催中だ。会では危険なためこれまで立ち入り禁止だった舞台裏と2階席も安全面に配慮しながら案内。参加者は一様に72年にわたる歴史の重みに圧倒されていた。

 内覧会のもう一つの目的は、観客や沖縄芝居関係者など、体験者の証言を集めること。先日、首里劇場に来ていただいた喜劇の女王・仲田幸子さんもその一人だ。

 幸子さんは33年生まれの89歳。終戦後の47年に「南月舞劇団」に入団。49年に一座が解散すると、複数の劇団を渡り歩いた後に53年に夫・仲田龍太郎とともに「でいご座」を結成、やがて25歳で座長に就任する。

 本人いわく「(立ち上げ当初は)自分たちなんか知る人は誰もいなかった」。首里劇場での初めての公演はそんな「ドサ回りの日々」の頃だった。

 当時の首里劇場は「この劇場で演るのは役者たちの夢だった」というぐらい立派で、「簡単に借りられなかった。いつも満タン(他の劇団の予約でいっぱい)。どうにかお願いして借りられた」

 やがて「でいご座」は押しも押されもせぬ人気劇団となり、幸子さんは沖縄で知らない人はいない大スターとなる。

 次に首里劇場で公演を行ったのは幸子さんが50代の頃らしい。久々に訪れた劇場は「やんでぃーがた(壊れそう)だったよ(笑)。もったいないなあ、何で造り変えないのかねーって」

 幸子さんの話によると、このとき行った母の日公演が首里劇場における最後の沖縄芝居興行となったという。ちなみに筆者はその時期を特定するべく、80年代の母の日前後1週間分の琉球新報を全てチェックしたが、それらしい記載を発見することができなかった。

 今回、数十年ぶりに首里劇場を訪れた幸子さんは場内をゆっくり見渡すと、しみじみと「良い劇場だったねえ…」とつぶやいた。

 「長らく保ったね。劇場としては最高記録だ」

 (平良竜次、シネマラボ突貫小僧・代表)
 (當間早志監修)
 (第2金曜日掲載)