沖縄戦の学徒の死者5人 資料で判明 これまで「0人」だった八重山中学校、八重山農学校


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国立公文書館に保管されている八重山中学校と八重山農学校の学徒名簿と死亡現認証

 沖縄戦に動員された学徒のうち、県立八重山中学校、県立八重山農学校の名簿が25日までに見つかり、少なくとも八重山中学校の3人、八重山農学校の2人の名前が記されていることが明らかになった。名簿は旧厚生省(現厚生労働省)から国立公文書館に移管された資料で、亡くなった場所や状況などが記された「死亡現認証」も含まれていた。県は両校の動員数について「不明」、死亡者数は「0人」としているが、公的な資料で死亡した学徒がいたことが裏付けられた形だ。松城中学校(那覇市)の大城邦夫教諭が国立公文書館に資料請求し、公開された。

 公開された資料は両校の「学徒名簿」と「死亡現認証」が一つづりとなっている。八重山中学校の部隊編入者名簿には喜舎場信栄さん、玉城現信さん、通事正浩さんの3人の名前があり、喜舎場さんと玉城さんは石垣島内でマラリアによって死亡、通事さんは糸満市摩文仁で銃撃を受けて亡くなったと記載された。

 八重山農学校の部隊編入名簿には平田勇助さん、西島本永吉さんの名前があり、いずれも石垣島内でマラリアによって亡くなったとされている。

 一方、同資料に含まれ、厚生省が作成したとみられる「沖縄未帰還者連名簿」によると、八重山中学校は喜舎場さん、通事さん、八重山農学校は平田さんの名前しか記載がなかった。そのうち、通事さんは特別幹部候補生として県外の航空兵学校へ入学途中に沖縄戦へ動員されたとの記載があるため、「学徒」の範囲に含まれないとみられる。今後の検証が必要となる。

 今回新たに見つかった名簿について、ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は「名前や部隊名などが記されており、学徒動員されていたことを裏付ける貴重な資料と受け止めている」と語った。大城教諭は取材に対して「学徒は沖縄本島ばかりに目がいきがちだが、離島も関係なく、巻き込まれたことを知ってもらいたい」と語った。(池田哲平)