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大みそかに「元日の新聞」が届き、お雑煮は食べない! 沖縄だけ?大みそか、正月のあれこれ


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
正月料理の準備で市場に駆けつける人たち=2018年、那覇市牧志

 年越しは年末年始の大イベントだが、沖縄では他県と異なる習慣がある。沖縄県外の人が聞くと、思わず「えっ」と驚くような沖縄独自の習慣や風習を紹介する。

(玉城江梨子、田吹遥子)

新年号は大みそかに届く

新年号の印刷が始まった=12月、琉球新報社

 沖縄では1年に1日だけ、朝刊が2回届く日がある。それは大みそかだ。全国のほとんどの新聞の新年号が元日の朝届けられるのに対し、琉球新報、沖縄タイムスの新年号は大みそかの夕方から夜にかけて配達される。新年号を読みながらリアルタイムで紅白歌合戦を見る―ということが可能なのだ。いつ頃からなぜ大みそかに配るようになったのか。

 1977年に入社した琉球新報の役員は「入社前からそうだった」と話す。当時先輩から聞いた理由は「配達員の確保」。正月は遠方の実家に帰る配達員が多かったため、元日の朝に新年号を配ることができなかったという。その対応策が大みそかの夜までに翌日1月1日付の「未来新聞」を配るというものだった。

年越しそばは沖縄そば

 大みそかにはやっぱり年越しそば。沖縄では年越しにも、そば粉を使わず小麦粉の麺にかつお節ベースのスープが特徴の沖縄そばが一般的だ。しかし、元々沖縄には、年越しそばの風習自体がなかった。

 1982年12月24日付の琉球新報には「年越しそば 数年前から定着」との記事がある。そこでは麺類メーカーサン食品の当時の社長が「12年前から年越しそばを始めたが2年間は売れなかった。復帰したころから毎年三割ぐらいずつ増え、日本そばと沖縄そばが半々」とコメント。
 那覇市内の日本そば専門店の店主も「初めのうちはどうして年越しそばを食べるのか分からないという人もいました。でも最近急に増えてきた」と話している。

年越しそばの定着を報じる1982年12月24日付の琉球新報の記事

 記事から読み取る限り、年越しそばの文化は沖縄の本土復帰に伴い徐々に定着したとみられる。この記事と同じ頃から「年越しそば」として沖縄そばを配布するチャリティーを知らせる記事もちらほら。年越しそばの文化自体は定着したが、食べるそばは、やはりなじみのあった沖縄そばの方が広がったのだろうか。

沖縄の人はお雑煮を食べない?

 日本の正月には欠かせない料理であるお雑煮。しかしこれまた沖縄ではあまりなじみがない。

 沖縄で正月に食されている汁物として、那覇市の第一牧志公設市場の粟国智光組合長は、豚の腸を使った中味汁や骨付きあばら肉のソーキ汁を挙げた。

中味汁

 ほかにも沖縄は「豚正月」と言われるほど、豚を使った料理が豊富だ。それに加えて昆布を使った煮物のクーブイリチー、タケノコ料理のスンシーイリチー、田芋の煮物ドゥルワカシー。今でもこれらの正月料理を調理するため、年末の市場には客足が絶えない。

なにコレ?炭と昆布の正月飾り

炭を昆布で巻いた正月飾り

 正月飾りにはしめ縄に門松が知られているが、沖縄では古くから、炭を昆布で巻いた正月飾りが用いられてきた。今もスーパーなどでも、この正月飾りが売られている。市場本通りの宮城紙商店には、正月飾りと共に、コンロなどの近くに置く火の神(ヒヌカン)、仏壇、床の間の3カ所に飾るよう貼り紙もあった。

宮城紙商店に並ぶ正月飾り=28日、那覇市牧志

 この正月飾り、沖縄の行事の幕開けに欠かせない「かぎやで風」の歌詞にも「あらたまる年に炭と昆布かざて 心からしがた 若くなゆさ」と正月の風景として描かれている。
 それにしてもなぜ炭と昆布なのか。那覇市史によると、木炭は万年、昆布は喜びを意味する縁起物だという。

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