「よく生きていたね」と涙 大阪の89歳女性、75年ぶりに沖縄の同級生と再会「夢みたい」


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75年ぶりの再会に笑みがこぼれる加藤初子さん(前列中央)と同級生の島袋俊子さん(同左)、宮城俊子さん(同右)、登川キク子さん(後列左)。後列右は白梅同窓会の武村豊さん=28日、那覇市内

 戦時中に生き別れた親友3人を捜すため、25日から来県していた那覇市垣花町出身の加藤(旧姓安次嶺)初子さん(89)=大阪府在住=が28日、その1人である登川(旧姓渡慶次)キク子さん(90)と75年ぶりに再会した。垣花国民学校の同級生3人とも再会。加藤さんは「夢みたい」と繰り返し、「よく生きていたね。命どぅ宝だね」と喜び合った。

 加藤さんが捜していたのは登川さんと「平良達子さん」「宮里ジロウさん」。登川さんによると、平良さんは那覇市泊出身で戦後は福岡県に移り住んだが、現在の消息は分からない。宮里さんについても詳細な情報はないが、加藤さんと同じ垣花国民学校31期生の名簿に「宮里次郎」という名前が確認された。

 加藤さんは26日に垣花町出身者の生年・米寿祝いに参加し、同級生たちと連絡が取れた。28日に再会したのは登川さんをはじめ、島袋俊子さん(90)、宮城俊子さん(90)、上原利子さん(90)。涙を流して抱き合い、母校の応援歌を歌った。

 加藤さんは垣花国民学校を卒業した後、県立第二高等女学校への進学を目指していた。同校卒業生でつくる白梅同窓会の武村豊(とよ)さん(90)も駆け付けた。

 加藤さんは1944年の10・10空襲から同級生と音信不通になり、大分県に疎開した。沖縄本島北部に避難して沖縄戦を生き延びた登川さんは「はっちゃん(加藤さん)は亡くなったのかと思い、平和の礎で名前を探した。あるいは移住したのかと思い、世界のウチナーンチュ大会の時にも捜した」と話した。加藤さんは「屋根に上って遊んだね。うーまくーだったね」と幼い頃を振り返り、再会を喜んだ。