prime

〝モバイルの王子様〟に転身したお笑い芸人が説く「しくじりからの学び」


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子
王子様キャラを貫き「ポージングに妥協はしたくない」とカメラの前で次々とポーズを決めてくれたモバイルプリンスさん=1月17日、那覇市泉崎の琉球新報社

 「スマートフォンアドバイザー」として沖縄を中心に活動するモバイルプリンスさん。SNSでの発信をはじめ、ライターや講師、ラジオパーソナリティーとしても知名度を上げている彼だが、王冠をかぶり、レースのついた上着に赤いベストという王子様ルックに「どこかうさんくさい」と感じている人もいるのでは? その特異なキャラクターができ上がるまでや、2月に出版した初の著書へ込めた思いなどを聞いた。

(大城周子)

時代をつかんだオタク気質

「フレッシュお笑い選手権」で優勝した際の写真。コンビ名は「うりずんマリンハント」で、相方は現在もお笑い芸人や俳優として活躍する知念臣悟=2005年8月

 「ボキャブラ天国」や「爆笑オンエアバトル」などのお笑い番組が好きだった。普天間高校2年時に沖縄のお笑い団体「演芸集団FEC」に加入。2年後には若手の登竜門と位置づけられる県内の大会でグランプリを獲得した。

「沖縄市のマニアックなラブホテルと料金プランを全部言うっていうネタでした(笑)。今はスマホの機種名や仕組みを丸暗記している。実は同じようなことをやってるんです」

 高校卒業後はお笑いに専念するつもりだったが、友人の勧めもあり沖縄国際大学へ進学することに。2004年8月13日。願書をもらいに行ったその日、米軍ヘリが目の前で墜落した。後に妻となる沖国大生の彼女に案内してもらっている最中だった。「『いつもこんなにヘリの音うるさいの?』みたいな話をしていたら急にボーン!って音がして、爆風で飛んできそうなガラスから逃げながら高校の先生に電話して。『そんな嘘つくな』って言われましたけど(笑)」

 「日本の捜査権が及ばないとかそんな重大な問題があるなんて、当時は考えもしなかった。後から振り返ると貴重な体験だったし、当事者意識を持つ出来事だった」

沖縄で「演芸集団FEC」に所属していた頃。琉球新報社にイベントの告知で来社した際の1枚=2005年、3月

 大学に入学したものの、目的もないまま通うことに嫌気が差して2年で退学。上京し、芸人を目指す傍ら携帯電話ショップで契約社員として働き始めたことが今につながる転機となった。商品カタログを読みあさり、丸暗記した。スマホが市場に出始めた黎明期。オタク気質がはまり、周囲を圧倒する知識を身につけていった。

 一方で、本業にするつもりだったお笑いは…。一人芸の日本一を決める「R―1ぐらんぷり」に1度だけ挑戦したが「鬼のようにすべった」。エド・はるみや鳥居みゆきが爆笑をさらう中、「僕の時は物音一つしない。図書館よりも静か(笑)。完全に心が折れて、気持ちよく諦めることができました」。ただ、人前で話す度胸や軽妙な話術は今に生かされているという。

長いものに巻かれない

会社員時代の一枚。はやっていた「今でしょ」ポーズをしているが用途は覚えていないという=2013年

 結婚と子どもの誕生を機に22歳で沖縄へUターン。再び携帯ショップで働き始めると、ここでも知識が買われ、指導係として福岡への赴任も経験した。同じ頃、知人の携帯電話の相談に乗った際に「君、携帯に詳しいね。携帯の王子様だね!」と言われた。

 同年代には「ハンカチ王子」「ハニカミ王子」がいた。「普通は周囲が『王子』と呼んで本人は謙遜する。僕の場合は、王子を自称して王子様の格好をしたらばかばかしくて面白いと思った」。こうして特異なキャラクターの「モバイルプリンス」が生まれた。

 2012年から地元・沖縄市のコミュニティーFMで情報番組「スマートフォン王国」を始め、ネット配信するとじわじわと人気が広がっていった。14年には脱サラし、フリーランスとして本格的に活動を開始。「スマートフォンアドバイザー」を肩書きに、公民館などでの講師、学校での講演、イベントやメディア出演を重ねてきた。

モバイルプリンス初期の時代。会社員と二足のわらじだったため、この頃はカツラで活動していた=2011年

 高3のとき、学園祭で「3年間で受けた体罰の再現VTR」を上映しようとして校内で物議を醸したことがあった。

「あまのじゃくというか、全体的な空気に流されたくない性格だと思う。今の日本って、みんなが空気を読んで波風が立たないようにしていることが問題なんじゃないかって最近思うんです」

しくじったら即時対応!

 社会的・政治的な話題についてツイートすると、アンチコメントがつくこともままある。だが、批判や否定に動じないのは「割り切れるようになった」からだと言う。

「僕に悪口を書いても私生活では良き夫や父親かもしれない。似た主義主張の人へのコメントは礼儀正しかったりもする。その人なりに何か考えているんだろうって冷静にバックグラウンドを観察できるようになった」
「自分なりの哲学に基づいて行動している。自信があるから主張やスタイルがぶれることはない」

 ただ、しくじることもある。事実誤認や誰かを傷つけてしまったとき、大事なのはごまかしたりせず謝罪することという。潔く認めたことで「信頼できる」とプラスに転じた経験もあるという。「撤退戦がうまいって言われたこともあります(笑)。モットーは『反省はしても後悔はしない』。万が一しくじったときは真摯(しんし)に向き合う」

地元・コザの街を背にするモバプリさん=2019年2月、沖縄市のゲート通り

ティックトックが分からない…

 2月、自身初の著書「しくじりから学ぶ 13歳からのスマホルール」を出版した。琉球新報で17年から連載している「知っとくto得トーク」の内容を再構成した。PRポイントは「すぐには役に立たないかもしれない。でも後から『そういやあの本で見たな』と伏線を回収するような本」だ。

 スマホの普及が進む中、メディアリテラシー教育の必要性が指摘されている。

2月に出版された初の著書「しくじりから学ぶ 13歳からのスマホルール」

 「実は僕、ティックトックの面白さが分からないんですよ」と明かすモバプリさん。スマホを黎明期から使っている中で、ツイッターやフェイスブック、インスタグラムは出始めから使っていた〝先住民〟という意識があるがティックトックに関しては後発組だ。

 「2012~14年あたりからネットのノリが変わってきた。それまでのネット文化は、クラスの端にいるような、パソコンとか鉄道とかアニメといった○○オタクのような人たちが仲間を見つけて情報交換するような場だった。でもスマホが普及するとクラスの人気者が一気にSNSにやってきた。モデルがおしゃれな写真を載せたり、ユーチューバーが明るくばかなことをやったり」

 生まれたときからデジタル機器に囲まれた世代が主流になれば、これまでにないネット上のルールやトラブルも出てくる。
「メディアリテラシーは説明が難しい。情報の正確さは経験や勘で判断しているところもあって完全に言語化できない。ネットの可能性が開かれていく中で、僕自身が意識的に考え、10代や20代に対してもっと的確にアドバイスできるようになっていきたい」

「後から見返してためになるような息の長い本になってほしい」と本をアピールするモバプリさん

モバイルプリンス/島袋コウ

1987年、沖縄市生まれ。スマートフォンアドバイザー、沖縄県サイバー防犯PR大使。2009年からモバイルプリンスとして活動を開始し、沖縄を中心にライター・講師・ラジオパーソナリティーとして活躍。琉球新報の小中学生新聞「りゅうPON」とウェブマガジン「琉球新報style」で連載中。プライベートでは3人の子の父で、5月に第4子が誕生予定。

公式サイト