prime

38歳でキャリアをゼロに…ハリウッドで夢をつかんだ押元須上子さん 挑戦を支えた思考法


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子
押元須上子さん(左から6人目)の着物ドレスブランド「MOONIK」(ムーニック)のファッションショー=2017年、米ロサンゼルス

 ふんわりと広がった裾に、カットされた袖。耳には大きなピアス、足元にハイヒールを履いたモデルがまとっているのは、一見鮮やかなドレスのように見えるが実は着物だ。日本の伝統衣装「着物」をモダンにアレンジし、米ハリウッドで衣装デザイナー、着付師として活躍していているのが押元須上子(おしもと・すえこ)さん(58)=沖縄県北中城村出身=だ。人気モデルのミランダ・カーや歌手のシャキーラなどセレブたちのスタイリング、コスチュームデザインのほか、2018年には担当したテレビドラマが米テレビ界最高の栄誉であるエミー賞の衣装デザイン部門にノミネートされるなど、華やかな世界で成功を収めている。そんな彼女はどんな人なのだろうか。チャンスのつかみ方、「チャレンジ」を支える思考法とは―。

(玉城江梨子)

38歳で全てをゼロに

「成功しようなんて思ってない。ダメなら帰ればいい。そのくらいの気持ちだった」。押元さんが米国に渡ったのは38歳の時。高校卒業後、沖縄県内で美容師や美容学校での着付け講師、エステサロンを経営するなど、順調にキャリアを重ねていた。しかし「このまま沖縄にいていいのだろか。もっと可能性があるのでは」という思いに駆られていた。

自分の可能性を見つけるためキャリアをいったんゼロにして向かった先はラスベガス。いとこが住んでいるという理由だけで、特段仕事の当てがあるわけではなかった。昼間はコミュニティーカレッジに通い語学を学んだ。アメリカに来て1カ月たったころ、チャンスが訪れる。ラスベガスの五つ星ホテル「ベラージオホテル」で働いていた知人の紹介で、そのホテルのスタッフ採用面接を受けることに。

「自信があります」とアピール

「恥をかいてもいい、笑われてもいいという気持ちで挑戦した」と語る押元須上子さん=2月、沖縄県北谷町

「カスタマーサービスには自信があります。トレーニングすればあなた方の希望に添うような仕事ができます」。客は世界のVIPたち。一流のおもてなしが求められる職場だが、押元さんは物おじしなかった。「これまでお客さん相手に仕事をしてきた。それには自信があった」。日本食レストランのマネジャーアシスタントとして採用され、予約、客席配置などを任せられた。的確なマネジメント、丁寧な仕事ぶりが評価され約5年働いたが、着物への思いを捨てられずにいた。

そのとき43歳。ここで押元さんは再びキャリアをゼロにする。山野流着装のロサンゼルス支部を開くため、ベラージオホテルを辞め、ロサンゼルスで着付け教室を始めた。当時住んでいたラスベガスとロサンゼルスは東京と京都ほどの距離がある。押元さんは2週に1回、片道6時間かかる道を自分で車を運転し、ロサンゼルスに向かった。長時間の移動も「考える時間」とポジティブに捉えた。

成功に導いた強みとは

2008年。着付師として地道に活動する押元さんに、世界的ファッション雑誌「ヴォーグ」の仕事が舞い込む。

フォトグラファーとモデルはフランス人。スタイリストと美術、ヘアメークはアメリカ人というチーム。当初、フォトグラファーは自分の思い通りの写真が撮れずにいらついていたが、寝ながらポーズを取るモデルの上に押元さんが帯を結んだものを載せるとフォトグラファーをそれを気に入り、場の雰囲気が変化。その後、スタイリストが選んだ洋服に合わせて押元さんが帯を結んだり、長じゅばんの襟を洋服と合わせたりして作品を作った。最初は押元さんのセンスを信頼していなかったというベテランスタイリストもその実力を認めざるを得なかった。

ヴォーグの仕事をきっかけに、業界に名が知られることになった押元さんは、映画、雑誌、ミュージックビデオ、CMの衣装デザインからVIPの着付け、自分のブランド立ち上げと仕事の幅を広げてきた。1人、2人の生徒からスタートした着付け教室は、次第に大きくなり今では弟子は70人を超える。

次々に成功を収める押元さんの話を聞いていると一つのキーワードが浮かんでくる。「柔軟さ」だ。

ハリウッドの仕事はスケールが違う。映画の衣装デザインを手掛ける場合、何十人ものクルーが必要だ。多種多様な価値観、背景を持った人たちとチームになって仕事を進めるために「何か意見されたときはいったん受け入れて、良い、悪いは後で考えている」という。それは「他人は自分にない、いいものを持っている。私の知らない世界、可能性があるかもといつも思っている」からだ。

その姿勢は弟子やアシスタントでも同じだ。「アシスタントもリスペクト(尊敬)している。アシスタントがいい気持ちでない限り、いい仕事はできないでしょう」と笑う。

いったん壊す そこから新しいものを生み出す

パリコレで発表したハイブランドの商品と、日本の着物のコラボがテーマの作品。ドイツ版VOGUEに掲載された(ⓒSebastian Kim)

押元さんはこれまで建築、フラワーアレンジメント、日本舞踊などさまざまなことを学んできた。甲冑(かっちゅう)をアレンジした衣装、帯をドレスにしつらえた衣装―。押元さんの今までの知識と感性をちりばめた衣装はアート作品のようだ。和装をアレンジしたものだが、それは「花魁(おいらん)」に代表されるような「妖艶さ」、西洋人のオリエンタリズム表象とは違う。上品さや凜(りん)とした強さを感じさせるものばかりだ。それは「基本を押さえているからだ」という。

伝統的な着物をそのまま着せるのでは海外では「かわいいね」で終わってしまう。それを世界のファッション界で通用するようにするには、古典の着物を使ってドレスや洋服に仕立てていくことが必要だ。「そのまま伝統を守ろう、残そうとしても、若い人は着てくれない。まずは興味を持ってもらいたい」。伝統の「着物」を愛しているからこそ、その魅力を多くの人に知ってもらいたいと思う。そのために基本を生かしつつも伝統を崩し新しいものを作る。「モダンにアレンジされた着物に興味を持ってもらえれば、着物の歴史、伝統も知りたいと必ず思うから。回り回って日本の伝統文化を守ることになる」。

ここでも基本を押さえつつも新しい発想を生み出すという「柔軟さ」が垣間見える。

失敗したら学習すればいい

年を重ねるほど、これまで積み上げてきたものが多くなってきて、新しいことに挑戦するのが怖くなる。2度もゼロからの挑戦をした押元さん。「夢を見るだけなら誰でもできる。そこに前に進むためのビジョンや将来設計がないといけない」とも話す。それでも失敗したら―。「その時は反省で終わるのではなく、学習すること。そして流れには逆らわないこと」

「私は来年還暦。でもやりたいことがたくさんあるの」と屈託ない表情を見せる押元さん。これまで着物を使って作品を作ってきたが「(沖縄伝統の)紅型(びんがた)もいつかは使いたい」と考えている。「そのために、琉球舞踊も学ぼうと思っているのよ」。ハリウッド映画やレッドカーペットに紅型を使った衣装が登場する日も近いかもしれない。

こちらもオススメ

コロナ禍で編み出したアパレルブランドの生き残り策 YOKANGの山内カンナさんインタビュー

沖縄発のアパレルブランド「YOKANG」のデザイナー・山内カンナさん。コロナ禍の中、新商品の開発に注力した=5月29日、那覇市古波蔵のYOKANG  新型コロナ …