米兵におびえる生活 海勢頭孝一さん 米軍上陸(9)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
平安座集落近くのガマで「集団自決」の危機にも直面した

 沖縄本島中部西海岸に上陸した米軍は1945年4月上旬からボートなどで平安座、宮城、伊計、浜比嘉の島々に上陸し、住民に投降を呼び掛けます。

 北部への疎開を見送った海勢頭孝一さん(81)=うるま市=の家族は、米軍の目を逃れ、平安座集落近くのガマに身を潜めていました。「米軍に捕まったら皆殺しにされる」という噂(うわさ)に惑われていました。上陸した米兵の姿を目撃したこともあります。

 「うりずんの時期になって、敗残兵を捜索するため米軍は水陸両用車で巡回していました」と海勢頭さんは語ります。

 米軍の襲来を恐れ、ガマに避難する住民の間で「これからが大変だ」という不安が広がり、「死ぬんだったら、生まれ故郷で死んだ方がいい」という絶望感にさいなまれたといいます。

 時期ははっきりしませんが、追い詰められた家族はガマの中で命を絶つ決意をしたことがありました。孝一さんの祖父が青酸カリを配ったのです。飲んで死のうという直前、孝一さんの態度で家族は自死を思いとどまりました。

 「私が『これを飲んで死にたくない』と足をばたつかせたため、『この世の中どうなるか分からない。生き延びてみよう』ということになったそうです」

 ガマで青酸カリが配られたことを孝一さんは覚えていません。戦後、祖父から聞かされた話です。