2020年、3月25日。新型コロナウイルスの影響で東京五輪・パラリンピックの延期が決定した翌日、男子空手形で既に代表を確定させていた喜友名諒はいつもと同じように那覇市の道場にいた。金メダル最有力の反応を尋ねようと集まったメディアを前に淡々と心境を語った。
「1週間後でも、8月でも、来年でも、いつでも優勝する準備はできている」
365日、空手漬け
2004年、沖縄東中2年生で全国優勝を果たし、翌年に劉衛流の門を叩いた。世界の舞台に憧れ、7度世界王者になった経歴を持つ佐久本嗣男氏に指導を仰いだ。「成功するかしないかは、続けるか続けないか。ただそれだけだ」。師の言葉を胸に365日、空手漬けの日々を送った。勝てない時期もあったが、5歳で空手を始めてから「空手をやめたいと思ったことは一度もない」と言い切る。
沖縄国際大4年生のとき、プレミアリーグトルコ大会で初めて世界の頂点に立った。実は喜友名は大学時代まで、組手の名手でもあった。中学・高校・大学それぞれの沖縄県大会で優勝し、全国大会にも出場した。「もし諒のパンチを食らったら、体が砕けるだろう」と佐久本氏。急所への突きや蹴りといった攻撃で構成される「形」と、寸止めで攻撃する実戦的な「組手」は通底しているという。喜友名自身も「形と組手を両方することで相乗効果はあった」と話す。
普段の稽古でも意識しているのは「目の前の敵をイメージする」こと。餌を狙う肉食獣の視線を参考にしているという。稽古を始めると、次第に汗のにおいが道場に立ちこめ、胴着の袖口から汗がぽたぽたとしたたり落ちる。休憩に入るときは、ふきんで床を拭き、正座して水を飲む。佐久本氏の「一瞬の気の緩みが死を意味する」という言葉通り、稽古は〝命懸け〟だ。
空手発祥の地から「歴史作る」
空手発祥の地である沖縄で稽古を重ねていることも自信の源だ。劉衛流の形にこだわり、2019年から全試合、劉衛の形のみで勝負している。ことし1月のプレミアリーグパリ大会では、決勝で劉衛流最高峰の形とされる「アーナンダイ」で審判の1人から満点を引き出した。射るような目つき、強じんな体幹から生み出される足さばき、全身の力を乗せた突き。全てが劉衛流の特徴である「一眼・二足・三胆・四力」を体現していた。
首里城ふもとにある沖縄県立芸術大学を稽古場にしていた頃は、首里城を見ては空手の源流である「手(てぃー)」を学んだ琉球の武士に思いをはせたという。
「沖縄出身の自分が五輪に出場して優勝することには、大きな意味がある。空手が生まれた場所から新しい歴史を作りたい」
東京五輪の延期にも「この1年間でさらに進化できる」とよどみなく言い切った絶対王者。沖縄から初の金メダリストになる日まで、ただ前だけを見据えて突き進む。
(古川峻)