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家族に支えられ 〝翼スマイル〟で「東京」のヒロインへ


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子

 車いすマラソンを始めて3年あまり。喜納翼(29)はレースのたびに成長を見せ、周囲を驚かせる。2019年11月の大分国際車いすマラソンでは、それまでの日本記録を2分17秒更新する1時間35分50秒で2位に入った。世界新記録で優勝したマニュエラ・シャー(スイス)との差はわずか8秒だった。東京パラリンピック出場へ向け、地元・うるま市では市長が会長を務める後援会も発足した。期待のホープは「東京で笑えるよう、今はやれることをやるだけ」と〝翼スマイル〟で活躍を誓う。

車いすマラソンを始めて3年あまりで日本トップレベルの選手となった喜納翼=2019年5月、沖縄市陸上競技場

120キロのバーベルの下敷きに

 沖縄県うるま市出身。幼い頃から活発で「細い枝にぶら下がって落ちたり、自転車をノーブレーキでカーブに突っ込んでいったり。いつも親に心配されている子だった」と言う。小学4年からバスケットボールに打ち込み、中学や高校では県代表に選出されるほどの実力者だった。両親は常に献身的にサポートし、遠征時にはチームメートの分まで航空券を手配した。

 沖縄国際大学1年の春、ウエートトレーニング中に約120キロのバーベルの下敷きになった。「足の感覚がなくて『やばい』と直感した」。救急車を待つ間に自分で父の肇さんに電話して「失敗してしまった。大きなけがになるかもしれない」と告げた。

コザ高校時代、沖縄県新人大会での写真。左が喜納=2007年11月
成人式の日に母の貴子さんと。着ている振り袖は、貴子さんが月桃で染めた糸から手織りしたグーシ花織

 覚悟していた分、車いす生活になることへの切り替えは早かった。両親の気持ちを思うと申し訳なさは募ったが、前を向くことが安心させる方法だと信じた。入院中の約3か月間、母の貴子さんは病院の椅子を並べただけの簡易ベッドをこさえ、毎晩一緒に横で寝てくれた。事故から10カ月後には、貴子さんが手織りしたグーシ花織(ぐーしはなうい=竹串を使って模様をつくる技法)の振り袖を着て成人式に出席した。

「想像もしなかった」未来

2017年の東京マラソン応援に駆けつけた両親と

 大学卒業後の2013年、車いす陸上に出合い、爽快感に魅了された。173センチの長身から腕のリーチを生かした走りで頭角を現し、地元企業のCMに出演するなど沖縄スポーツ界を代表する顔になった。最初は心配していた両親も娘のレースを毎回楽しみにしているという。「けがをしたときは最大の親不孝だと思った。大会で活躍すると両親が喜んでくれるので、今はそれが一番の恩返しになっているかな」

 あっけらんとした性格は母親譲りで、レース前に神経質にならないのも喜納の持ち味だ。今も両親と暮らす実家は、父と兄がリフォーム工事をしてバリアフリーにした。喜納は「家族はいつも絶対的な味方で支えられている」と感謝し、「東京パラでは力を十分に発揮して、家族と『最高に楽しかったね』と振り返られる大会にしたい」と意気込む。

 事故があった3月24日は喜納にとって「もうひとつの誕生日」。第二の人生は今年、10年の節目を迎えた。「車いすになる未来なんて想像していなかったけど、思い描いていた未来以上に今の毎日が輝いている」。最高峰の舞台でさらに輝きを放つため、今日も車輪をこぐ。

(大城周子)

東京パラリンピックでの活躍を誓い、練習に励む喜納翼=2019年4月、沖縄市陸上競技場

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