日本サッカー界で「天才」や「至宝」の異名を持つプレーヤーといえば誰か。多くの人が名を挙げる1人が小野伸二だ。日本代表はもちろん、国内外のトップチームで活躍し、柔らかく軽やかなボールタッチでサッカーファンを魅了し続けてきた。
2019年8月。小野がJ2昇格1年目のFC琉球へ移籍することが発表された。那覇市内で開かれた入団会見で、移籍理由を問われた小野は笑顔でこう語った。
「沖縄をサッカー王国にしたいという、(FC琉球)会長の思いに賛同した」
輝かしいキャリア
小野は1998年に浦和レッズに入団し、その年のフランスワールドカップ(W杯)に出場した。18歳272日でのW杯出場は今も破られていない最年少記録だ。日本代表として2008年まで56試合に出場して6得点を挙げ、3大会連続でW杯に出場。中田英寿や中村俊輔らとともに「黄金世代」と呼ばれ、オランダの名門・フェイエノールトでも活躍した。
FC琉球の運営母体である琉球フットボールクラブの三上昴社長(当時)は会見で、「小野選手の経験はもちろん技術を含めて、沖縄のサッカーにどれだけ貢献してもらえるか、期待を込めて加入していただいた。今日が沖縄のサッカーにとって歴史的な1日だと確信している」と語った。
期待を背に、小野はチームの〝潤滑油〟として存在感を発揮していった。ゲーム形式の練習では、前線の選手に指示を飛ばす。練習が終われば若手選手へ積極的にアドバイスし、時折冗談を言って和ませる。「試合に出ている選手、出ていない選手含めてのチーム。全員のモチベーションを常に高いレベルに置いておきたい」と言う。
昨シーズンは8月31日の岐阜戦から7試合連続で先発出場。途中出場を含めて9試合、計493分間ピッチに立ち、ボランチで攻守の要としてチームをけん引した。
ピッチの外にも「小野効果」
「小野効果」はチーム外にも表れている。デビュー戦となった横浜FCとのホーム試合には、過去最多の1万2019人が応援に駆けつけた。シーズンを通して、ホーム試合の観客動員数は10万人を超えた。小野自身、地域のトリムマラソンにゲストランナーとして出場したり、自身が登壇するシンポジウムのビラ配りをしたりと、盛り上げに積極的に関わる。
琉球はリーグ屈指のパス数を誇るポゼッションサッカーで、22チーム中14位でJ2残留を決めた。目指すJ1昇格へ、不惑の40歳を迎えた天才は「来シーズンは、最終的には笑って終わりたい」と青写真を描く。
(喜屋武研伍、大城周子)