爆撃で母と祖父失う 島袋文雄さん 米軍上陸(20)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
現在の糸満市真栄平。この集落で母と祖父を失った

 1945年4月末、米軍の砲撃で浦添市沢岻の壕を失い、母の静さん、祖父らと共に本島南部に逃れた島袋文雄さん(90)=那覇市=は真壁村(現在の糸満市)真栄平にたどり着き、民家に避難します。

 「よそから来た私たちは、どこに自然壕があるのか分からない。集落の人はどこかに逃げていて、家は空き家になっていました。なので、私たちは戦争中だけど家の中にいたんですよ」

 5月下旬に首里を放棄し、本島南部へ撤退した日本軍を追撃するため米軍は南部に展開します。島袋さんが避難していた真栄平も安全ではありませんでした。6月7日ごろ、米軍機が集落を襲撃します。

 「爆弾が落ちて、家の床が吹き飛びました。人間の本能なのか、みんなばらばらに逃げました。私は向かいの畑の溝に隠れていました」

 島袋さんと一緒に逃げた祖父は途中で離れてしまいます。その直後、祖父は直撃弾を受けて命を落とします。遺体はばらばらになってしまいました。集落に戻ると母の遺体が横たわっていました。胸がえぐられていました。

 「一人ぼっちになった。たくさん泣きました。人手をお願いして遺体を埋めました」

 母の遺骨を拾ったのは戦後のことです。
 母と祖父を失った島袋さんは真栄平を離れて名城、喜屋武と南部の戦場をさまよいます。