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浜比嘉島は沖縄本島のような地上戦はありませんでしたが、住民は生命の危機に直面していました。米軍を恐れ山中の壕に身を潜める厳しい生活の中で、奥村敏郎さん(85)=沖縄市=の祖父がこの世を去りました。
《私たちは浜比嘉島から一歩も出ることはなく戦争は終わりました。しかしながらわが母の父(私の祖父)は足が不自由で毎日一緒に避難することができず、自分たちのお墓に1人避難させたそうです。そしてお墓で亡くなったそうです。》
祖父を背負って海沿いの浜集落から自然壕のある山奥までの道を歩ける人は家族にいませんでした。しかたなく、祖父はお墓に避難してもらったのです。墓の中でどのような最後を遂げたのか分かりません。当時70歳くらいでした。「戦争というのは、みじめで不幸だ。祖父の死も不幸な出来事だった」と敏郎さんは語ります。
《祖父が亡くなったことを私は知らず、後に家族から聞かされて大変悲しい思いをしたのです。私は祖父にかわいがってもらったのでショックでした。だから戦争がなかったといっても悲しいことは起こったのでした。》
犠牲者は祖父だけではありません。防衛隊として戦場に動員された叔父も戦死しました。そして、首里の県立一中に通っていた4歳年上の兄、菊郎さんも本島の戦場で命を落とすのです。