具志堅用高さん、言葉で振り返るボクシング人生


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
国際ボクシング殿堂入りし、式典で記念の指輪を掲げる具志堅用高さん=2015年6月14日、米ニューヨーク州

 2015年6月14日、米ニューヨーク州カナストータ。国際ボクシング殿堂入りした元世界ライトフライ級王者・具志堅用高さんの授賞式典が開かれた。

「I will never forget this wonderfulday(この素晴らしい日を決して忘れない)」

 具志堅さんが英語でスピーチすると、詰めかけた500人のボクシングファンから歓声が湧いた。1976年に初めて世界戦を制し、以降WBA世界ライトフライ級王座を13回連続で防衛。この男子日本記録は今も破られていない。

 引退後は解説者やタレント、指導者としてマルチに活躍。今年6月6日、自身が会長を務める「白井・具志堅スポーツジム」を7月末で閉鎖することを発表した。折々に刻んだ言葉で具志堅さんのボクシング人生を振り返る。

国際ボクシング殿堂入りのパレードで、沿道からの「ヨーコー」コールに手を挙げて応える具志堅用高さんと家族=2015年6月14日、米ニューヨーク州

「どのへんで勝てるかなど、とてもわからなかった。倒したのはすべて右パンチでした。最後はもう起きてくれるな、と祈りました」
「わんや、カンムリワシないん(私はカンムリワシになる)」
(いずれも1976年10月10日、世界タイトル初挑戦で王座を獲得し)

 当時21歳。チャンピオンのファン・グスマン(ドミニカ)に7回32秒KO勝ち。ライトフライ級(当時はジュニアフライ級)王座を獲得した。プロ入りわずか9戦目の快挙だった。試合後、「わんや、カンムリワシないん」と宣言したことから、以後「カンムリワシ」がニックネームとなった。カンムリワシは石垣島や西表島に生息する小型のワシで国の特別天然記念物。

「今はただボクシングを忘れてのんびりしたい。そして大好きなケーキを食べたい」
(1979年4月8日、アルフォンソ・ロペス戦で6連続KO勝ちの日本記録を打ち立て)

 絶頂期といえる頃。ガードが良くて打たれることの少ないファイタータイプで、「100年に1人の逸材」「カミソリパンチ」「天性の勘」と称賛された。ロペス戦では「(相手は)いいボクサーだったけど効いたパンチはなかったよ」と試合を振り返った。

リゴベルト・マルカーノに7回KO勝ちし、7度目の防衛に成功=1979年1月7日

「これ以上リングに上がる気力がなくなった。今は本当に寂しい」
(1981年8月7日、引退会見で)

 1981年3月8日、14度目の防衛戦は待望の故郷・沖縄で開催された。会場の具志川体育館には超満員の8千人が詰めかけた。前半は具志堅さんのペースだったが、5回をすぎたころから動きが鈍り、8回と12回にダウンを奪われるとセコンドからタオルが投げ込まれてKO負け。絶叫にも似た声援が館内を包む中、王座から陥落した。

 試合直後は「申し訳ありません」と声を絞り出すのがやっと。5カ月後に開いた引退会見では、1年間で4回の防衛戦を行った79年がピークだったと語り、「(80年の)12回目の防衛戦の頃に限界を感じた。特にこの1年は飯を受け付けず食事が怖かった」と明かした。

WBA世界ジュニアフライ級タイトルマッチ 挑戦者のペドロ・フローレスを攻め続ける=1981年3月8日

「一番後悔しているのは税金対策。うまくやっていたら東京に家の一つくらいは建てられたのに」
(1981年8月7日、引退会見で)

 引退会見では、神妙な表情で思いを語った一方でユーモアも忘れなかった。その明るい性格は引退後も愛され、「天然キャラ」でお茶の間の人気者になった。

「頭の中にはいつも、ヤマトゥーに負けてはならん、というのがあった。チャンピオンになれば、つらかったことがすべて喜びに変わる」

「世界を取るのは大変だけど、守るのはもっと難しい」
(いずれも2015年6月14日、国際ボクシング殿堂入りでインタビューに答えて)

WBCフライ級で王座を獲得した比嘉大吾とリング上で抱き合う具志堅さん=2017年5月20日、有明コロシアム

 具志堅さんは1995年9月に、日本人初の世界王者の故白井義男氏と共同経営で「白井・具志堅スポーツジム」を開設。2017年5月に沖縄県浦添市出身の比嘉大吾がWBC世界フライ級王座を奪取し、ジム設立から22年で初の男子世界王者が誕生した。

「気力・体力ともにこれまでのように情熱を持って選手の指導にあたるには難しい年齢になった。ここが潮時と決断した」
(2020年6月6日、公式ホームページでジム閉鎖を発表し)

 比嘉大吾は初戴冠から白星を重ねたが、18年4月、3度目の防衛戦で計量失敗によりライセンスの無期限停止処分を受けた。20年2月の復帰戦ではTKO勝ちを収めたものの、比嘉とジムの間では練習環境や待遇を巡る溝が埋まらず、3月に契約を解除。近年は比嘉の他にもジムを離れる選手が続出していた。

 具志堅さんは64歳で指導者の道からの引退を決め、「今後は私にできることがあったら、別の形でボクシング界に携わらせていただければ」と語った。

 

他の「ことば」を探す