飢える住民、いさかいも 比嘉由照さん 捕らわれた日(3)<読者と刻む沖縄戦> 


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南城市玉城垣花の自然壕シチナクブの入り口

 玉城村(現南城市玉城)垣花の自然壕シチナクブで母や祖母、弟と避難していた比嘉由照さん(82)=八重瀬町=は壕内で艦砲弾の爆発音を聞き、おびえていました。

 《近くで艦砲が炸裂(さくれつ)する中、壕内でなす術もなく、ただ直撃弾がないよう祈るのみであった。その時の着弾の地揺れの恐怖を今も忘れることはない。住宅近くをダンプカーが通る揺れにも過敏になるのである。》

 食料も不足し、壕にいる住民を飢えが襲いました。

 《戦争は狭い壕内にひしめく住民に飢餓をもたらし、食料に絡む人目をはばからない近親憎悪が起きたりした。母が外から持ち帰ったサトウキビだけをかじる日が続いた。》

 壕周辺にある畑は既にイモや野菜が取り尽くされ、サトウキビしかないような状態でした。「1個のイモを巡って、壕に避難している家族間でいさかいも起きました」と比嘉さんは話します。目前で起きる争いにおびえ、涙を流しました。

 壕内には日本兵もいました。

 《すみ分けている軍は壕内の好位置を占め、食料も足りていたようだ。》

 日本兵が壕の外から女性を連れてきたことがありました。「粗末な服を着ていた母とは違い、華やかな服装だったのを覚えています」と話します。

 一緒に避難していた叔父から、女性は「慰安婦」だったと後で聞かされます。