1945年5月下旬、比嘉由照さん(82)らは日本軍の命令で、避難していた玉城村(現南城市玉城)垣花の自然壕シチナクブを追われました。比嘉さんらは戦場に投げ出されます。
壕を出た同じ門中の3世帯は共に行動しましたが、叔父とは途中ではぐれてしまいます。比嘉さん、母ハルさん、祖母カマさん、弟盛徳さんの4人は戦場をさまよいます。
《5月下旬、近くまで米軍が押し寄せたとき、同居する日本軍から理不尽な追い出しを受けました。指導者もなく、艦砲弾が飛び交う戦場を隠れ場を求めて這(は)うように進んだ。
ようやく探し当てた岩穴も先着者で隙間がない。入れずに立ち尽くしていたら、敵の目標になると追い払われ、祖母の出生の地である知念村具志堅に着き、岩陰などに潜んでいた。》
4人がたどり着いた知念村(現南城市知念)具志堅にもその後、米軍が進攻し、掃討戦を繰り広げました。
《焼け残った民家にこもっている4人は米兵に取り囲まれた。共に行動した門中3世帯は阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中、蜘蛛(くも)の子を散らすように逃げていった。先に捕虜になり4人を案じていた叔父は米軍に従って「戦いは終わった。外に出ても安全だ」と呼び掛けた。》
壕内にいた日本兵から「鬼畜米英」の話を聞かされていた4人は叔父の投降呼び掛けに動揺します。