【本部】6月10日「本部(むとぅぶ)の日」に合わせて町の有志らは10、11の両日、沖縄戦の時に疎開した先人の労苦を追体験しようと、那覇市から本部町まで約80キロを徒歩で縦断した。発案者の仲宗根忠真(ただまさ)さん(49)は「骨がきしむようだ。先人はここまで大変だったのか。信じられない」と足をさすった。
参加した7人は、毎年「本部の日」にイベントを運営しているメンバーで、ほとんどが本部町2世で現在は那覇市に住んでいる。今年のイベントは新型コロナウイルス感染拡大防止のため、中止となった。
メンバーの仲宗根麻紀さん(39)は幼い頃、本部町に住む祖父母の家によく遊びに行った。祖母は「今は花火の音が大砲の音に聞こえる」「赤ちゃんを背負いながら逃げてきたんだよ」と戦争の話をしてくれた。麻紀さんから話を聞いていた忠真さんは「(イベントが中止となった)今だから、時間を取ってできるのでは」と思い立った。
初日は那覇市新都心からスタートし、恩納村まで52キロを歩いた。嘉手納町内を歩いていると、戦闘機が離着陸する大きな音と振動に驚いた。そびえ立つ防音壁を見ながら「素朴な疑問だが、戦後75年たってもなぜ壁が残っているのか」と改めて考えさせられた。
ゴールで出迎えた平良武康町長は「那覇に出た人たちと思いを共有できる。こんな素晴らしいことはない」と語った。麻紀さんは「本当に大変。子どもたちにも、この経験を伝えていきたい」と力を込めた。