戦争の恐怖、トラウマに 比嘉由照さん 捕らわれた日(6)<読者と刻む沖縄戦> 


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
現在の南城市玉城字仲村渠の集落

 叔父の呼び掛けに応じ、軍に捕らわれた比嘉由照さん(82)=八重瀬町=らは、しばらく知念村(現南城市知念)具志堅にとどまり、その後、玉城村(現南城市玉城)仲村渠に戻ります。

 戦後、母ハルさんと戦争中のことを語り合ったといいます。壕を追い出され、日本軍と決別したことが生死の分かれ目になったとハルさんは考えていました。日本軍と行動を共にし、犠牲となった住民もいました。生き延びたのは「ご祖先の導きだった」と信じていました。

 ハルさんは103歳まで生きました。位牌(いはい)と神衣装を携え、戦場を共にさまよった祖母カマさんを思い出し、涙ぐんだといいます。

 艦砲弾の炸裂(さくれつ)音を壕内で聞いた恐怖はその後も比嘉さんを苦しめました。

 《夜中におびえた声を上げて起きることがあり、戸口に三男が心配顔でのぞき込んでいるのを見て安堵(あんど)することがよくあった。体験を基に平和ガイドを務めるようになったから発症は少なくなった。》

 比嘉さんは5年ほど前から八重瀬町の平和ガイドとして活動し、自身の体験を語っています。

 《戦争は全てを奪い取ろうとするものだが、叔父が投降の手助けしたように、絆は濃いのである。戦争の実態はいくら語っても語り尽くせない。》

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 比嘉由照さんの体験記は今回で終わります。次回から大城強さんの体験記を紹介します。