沖縄戦の組織的戦闘終結から75年の節目となった23日の「慰霊の日」。年月の経過で戦争体験者の高齢化はさらに進み、記憶の継承は喫緊の課題となる。だが、沖縄全戦没者追悼式は大幅に規模縮小、各地の慰霊祭は中止に追い込まれるものもあるなど、新型コロナウイルスの猛威が直撃した。それでも各地の慰霊碑には戦争体験者や遺族の姿が相次ぎ、自宅で待つ「家族の分も」とより長く、手を合わせる。島々は鎮魂と平和の祈りに包まれた。
20万人を超える人の命を奪った沖縄戦。悲しみを癒やすように涙雨がちらつく。県内の慰霊の塔で最も早く建立され、身元不明の遺骨を収めていたには、糸満市米須の「魂魄の塔」には早朝から多くの遺族が訪れた。戦没者の冥福を祈り、平和な世の実現を願った。
花束を握りした大城昌清さん(78)=南城市=は亡くなった父とおばのため、毎年来ている。海軍に所属していた父は避難していた壕の近くで爆撃に遭い犠牲になった。当時は幼かったため「お母さんが教えてくれた」と言葉を詰まらせ、花を手向けた。
糸満市摩文仁の県平和祈念公園。国籍や人種、敵、味方を問わず沖縄戦などで亡くなった人々の氏名が刻まれた平和の礎。ことしは設置から25年を迎え、刻銘者は24万1593人に達した。
父方の祖父や母方の祖母らの名前が刻まれている徳元加代子さん(61)=豊見城市=は子ども3人と孫1人の5人で訪れた。毎年訪れているため「75年ということは意識しないが、ウチナーンチュとして当たり前のように継承していきたい」と孫の上原陸ちゃん(1)を見つめてほほ笑んだ。
同摩文仁にある沖縄師範健児之塔は新型コロナの影響で慰霊祭が中止となった。沖縄師範学校男子部で構成する鉄血勤皇師範隊として動員された戦争体験者は90歳を超え、慰霊碑を訪れる人の姿はほとんどみられなくなった。戦争体験の継承が課題となっている現実を如実に示した。【琉球新報電子版】