家荒れ果て、苦しい生活 大城強さん 捕らわれた日(11)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
現在の恩納村恩納。小屋を建て、戦後の暮らしを始めた

 兄と共に恩納岳を下りた大城強さん(82)=読谷村=は家族と共に石川収容地区で暮らします。食料には苦労しました。

 「屋嘉収容所にいた捕虜を乗せた米軍のトラックが石川を通る時、捕虜がお菓子を投げるんです。子どもはそれを拾っていました」と大城さんは語ります。

 1945年秋以降、恩納集落の住民は故郷に戻ります。家は荒れ果て、生活できる状況ではありませんでした。住民は近くに建てた小屋で暮らしました。

 大城さんの家族10人はけがもせず、戦火を生き延びました。「恩納村に軍事拠点はなく、大きな部隊もなかったためではないか」と大城さんは考えます。

 《戦争体験といえば激しい戦闘状況や生死の狭間を生き抜いた話が強調されがちだが、われわれのように、軍事拠点がなかった地域を検証することも必要ではないか。現在の沖縄に置き換えてみると、全日本における米軍基地の70%超が沖縄に集中している。戦争になれば真っ先に沖縄が攻撃されるのは当然のことである。

 二度と戦争を起こしてはいけない。戦争には勝者も敗者もない。双方に深い禍根を残す。われわれ人類はもっと過去に学ばなければならない。》

 きょうは「慰霊の日」。沖縄戦から75年、大城さんの思いです。

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 大城強さんの体験記は今回で終わります。次回から安里祥徳さんの体験記を紹介します。