「平和の礎」除幕に立ち合った小5、25年経ておじ刻銘実現 子ども3人と祈り 伊敷貴也さん(35)


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追加刻銘された平和の礎に、手を合わせる(左から2人目から時計回りに)伊敷貴也さんと勝貴ちゃん、環汰ちゃん、こころさん=23日午前、糸満市摩文仁の平和祈念公園

 1995年6月23日、当時糸満市立高嶺小5年の伊敷貴也さん(35)=糸満市=は平和の礎の除幕に立ち合い、25年後となる今年は親族が追加刻銘された。23日午前、貴也さんは3~8歳の子ども3人と礎を訪れ「礎には日本人だけでなく外国の人々も刻まれていて、みんなが平和を考える場所だ。相手を思いやる気持ちを大切にしてほしい」と優しく見詰めた。

 今年刻銘されたのは、貴也さんのおじに当たる「伊敷昭夫」さん。戦時中に父・亀さんらとフィリピンに渡り、5歳ほどで亡くなった。戸籍がなく刻銘されていなかったが、仏壇の位牌(いはい)などの情報を基に、貴也さんが中心となって刻銘を申請した。一緒に申請に取り組んだ伊敷栄さん(67)は昭夫さんのいとこで、貴也さんのおじ。栄さんは「身内にしか供養はできない。刻銘されて良かった」と胸をなで下ろした。すでに刻銘されていた親族2人「伊敷蒲三」「伊敷蒲三の妻」も、ことし「蒲二」「ヤス子」に修正した。

 貴也さんは小学生から祖母の戦争体験を聞き取るなどして、家族が直面した歴史に関心を抱き、広島や長崎など国内外の戦跡に足を運んだ。新聞でニュースを読んでは、普段から子どもたちにも75年前の沖縄戦を伝えている。

 貴也さんは23日、昭夫さんの刻銘をなぞり「おじいさんのいとこだよ」と子どもたちに説明した。貴也さんは「次の世代に戦争の歴史や平和の尊さを伝えたい。コロナ禍で国同士が批判し合うこともあるが、冷静に判断して考えてほしい」と語った。