問われる知事の対応力 片山善博(早稲田大大学院教授)<大型寄稿・コロナ禍の先へ>


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片山善博(早稲田大大学院教授)

 新型コロナウイルスの感染拡大防止を巡る緊急事態宣言を受け、各都道府県知事はそれぞれの地域の状況にあわせて対応が分かれた。小池百合子東京都知事や吉村洋文大阪府知事の発言などがテレビや新聞で取り上げられている。だが私から見ると、これまで新型コロナへの対応で一番しっかりやられたのは和歌山県の仁坂吉伸知事ではないかと思う。

 ウイルス検査についての国の基準にとらわれず、和歌山県は独自の判断をし、国とけんかするわけでもなく、自身がやったことをアピールするわけでもなく、やるべきことをただただ淡々とやってきた。必ずしも目立つ人が立派な業績を上げているというわけではない。

 何をすべきかを踏まえた上で、今の権限で何ができて、何ができないかを認識する。法律上できないことは何か、ロジスティックス(資機材調達)の問題で何が足りないか。それらを見極めるのが作戦司令官たる知事の仕事だ。資機材や人材が足りないとなれば、八方手を尽くして確保する。法律上の問題ならそれを変えるよう国に求めていく。

 厚生労働省から新型コロナウイルスの感染疑いの受診「基準」として「37・5度以上の発熱が4日以上継続」が県に通知されたが、仁坂和歌山県知事は、感染の検査をせずに放置するとウイルスが拡散してしまうと判断し、ウイルス感染を判定するPCR検査を独自の判断で必要な件数はすべて実施して陽性者は隔離した。これによって感染を封じ込めた。「国の基準はおかしい」と文句を言う方法もあったが、それは「助言」に過ぎないと聞き流したのだろう。

 国と地方との関係でみると、地方自治法の改正で国と地方が対等となった。その意味は、国も自治体も法律には従わなければならないが、法にないことを国が自治体に指示はできないということだ。つまり法的根拠がないのに、通達や電話で「こうしろ」と言っても拘束力はない。あくまで法律で規定しなければならない。通達や紙切れは単なる「助言」であって、県側はそれに従ってもいいし、こだわらないで無視してもいい。

 後になって加藤勝信厚労相が、感染疑いの受診基準は「目安であって基準ではない」「誤解だった」と説明し批判されたが、それは都道府県に対する縛られる必要のない「助言」だったという意味では大臣の言う通りで、各都道府県で独自に判断して進めればよかった。

 小池都知事が、新型コロナウイルス特措法に基づく休業要請表明の際に「社長だと思っていたら、天の声がいろいろ聞こえてきて、中間管理職になったようだった」と知事権限行使で国からの関与に不満を述べた。緊急事態宣言で国は基本的対処方針をつくり、個別の知事権限の行使には「国と協議の上」と記した。国は法で縛るのではなく作文で縛ろうとした。小池知事は法律上の制約ではないのだからと、無視してもよかった。それを「中間管理職のようだ」と思い込み、自ら縛られる道を選んだだけのことである。

 自治体の長はそれぞれの地域でやるべきことを見極め、それらをしっかりやってきたのかが問われる。
 (談、地方自治論)

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 かたやま・よしひろ 1951年岡山県生まれ。74年東京大法学部卒、自治省入省。99年から2007年まで鳥取県知事。同年から17年まで慶応義塾大学教授。その間10年から11年まで菅内閣で総務大臣を務めた。17年から現職。

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 新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、沖縄県が出した活動自粛・休業要請は解除された。しかし、活動制限が市民生活や経済に与えた打撃は今後も続く。感染防止対策や「新しい生活様式」が働き方や人と人との接し方を変え、ひいては人々の意識を変えていく可能性がある。「コロナ禍の先に」あるものは何か。県内外の有識者に示してもらう。