摩文仁住民にわびる 安里祥徳さん 捕らわれた日(21)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の北中城村喜舎場の集落

 一中通信隊として戦場に動員された安里祥徳さん(90)=北中城村=は前原高校を卒業後、沖縄外語学校や琉球大学で学びました。1972年沖縄バヤリースを創設しました。

 沖縄戦から歳月が流れましたが、安里さんは同じ部隊の兵士が摩文仁で住民の壕を奪ったことが忘れられずにいました。

 《摩文仁への撤退後、私が配属された第5中隊は民間人の堅固な壕を奪ったので、犠牲者は中隊本部から離れた分隊勤務者と中隊解散後の数人を合わせて11人。第6中隊は民間人の壕を奪うことはせず、防備不十分な岩陰を陣地としたため、34人の入隊者中、戦死者は28人で生き残りは6人のみである。》

 第6中隊は多くの学友が亡くなった。第5中隊の兵士によって壕を追い出された摩文仁の住民も多くの犠牲者が出たのではないか。安里さんは罪悪感を抱いていました。

 沖縄戦から70年を経た2015年6月21日、安里さんは摩文仁を訪れ、「避難民を追い出したと聞き、大変な迷惑を掛けたと思った。本当に申し訳なかった」と住民にわびました。

 「戦争は悪だ。絶対に繰り返してはならない」と安里さんは語ります。現在、北中城村喜舎場で果樹を育てながら、平和を願っています。

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 安里祥徳さんの体験記は今回で終わります。次回から幸地賢造さんの体験記です。