屋外警戒の父、犠牲に 幸地賢造さん 捕らわれた日(24)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の糸満市糸洲の集落

 真壁村(現糸満市)にたどり着いた幸地賢造さん(84)=西原町=の家族は隣り合った糸洲・小波蔵集落の民家に隠れます。「おそらく糸洲側の民家だと思います」と幸地さんは語ります。民家は避難民でいっぱいでした。

 「家族は『きょう生きることができたね、明日はどうなるかね』という感じでした」と幸地さんは振り返ります。毎日、命をつなぐことで懸命でした。

 家族を守るためだったのでしょう。父の賢盛さんは家の中には入らず屋外を警戒していました。その賢盛さんを米軍の砲撃が襲います。

 《父は屋敷内の囲いの石垣と木の間で見張りをしているところを砲弾で命を落とした。昭和20年6月13日、38歳でした。その時、「軍神大舛中隊長の歌」を口ずさんでいた。僕は「父は生き返る」と思いました。》

 賢造さんが口ずさんだのは、ガダルカナル島で戦死した与那国出身の大舛松市さんをたたえた「嗚呼 大舛中隊長」のことです。「決戦続く ソロモンの ガダルカナルは 堺台 ひしめく米鬼 斬り伏せて 起てり大舛中隊長」という歌詞です。

 なぜ、この歌を歌ったのでしょうか。賢造さんは「子ども心に思ったんです。そういう教育だったんでしょうね」と語ります。

 民家にいた避難民が賢盛さんを埋葬しました。家族は他の避難民と共に喜屋武へ逃れます。